勝負師たち
2019/06/10
【勝負師たちの系譜】羽生九段「平成最強」示す通算勝利数更新 歴代最多1434勝
将棋界で誰が一番強い、強かったのかは、誰もが興味あるところと思うが、数字が簡単に教えてくれる。それは通算勝利数と生涯勝率である。このところニュースでもよく取り上げられる、羽生善治九段の歴代最多勝利は、4日の王位戦挑戦者決定リーグ白組プレーオフの対永瀬拓矢叡王戦で達成された。今までの記録は、大山康晴12019/06/10夕刊フジ詳しく見る
2019/03/30
【勝負師たちの系譜】縁起のいい宇都宮で渡辺棋王が7連覇! 先手の優位生かす
★棋王戦(2)今期棋王戦は、渡辺明棋王が2連勝の後、新潟市での第3局を広瀬章人竜王が今流行の雁木戦法で竜王の意地を見せ、快勝して第4局に繋げた。今回は対局地に、加盟の4社が誘致していて、第4局は栃木県を本拠とする下野新聞社が誘致していた。宇都宮市では地元の将棋ファンが実行委員会を作って、とちぎ将棋ま2019/03/30夕刊フジ詳しく見る
2019/03/25
【勝負師たちの系譜】昇級だけじゃない…降級めぐる激しい戦いもある「順位戦」
★順位戦(7)今期順位戦は3月13日にB級2組、14日にB級1組の最終戦で締めくくられた。B2では、すでに9連勝で昇級を決めていた永瀬拓矢七段が10連勝。もう1枠は9勝1敗とした、千田翔太六段(当時)が昇級した。この2人、タイトル戦挑戦経験があり、以前私が今年活躍する棋士に入れた、生涯勝率の高い棋士2019/03/25夕刊フジ詳しく見る
2019/03/11
【勝負師たちの系譜】王将戦、渡辺明が棋王と合わせ二冠となり…今年は「世代間対決」必至!
★王将戦(3)今期王将戦七番勝負は、終始挑戦者の渡辺明棋王のペースで進んだ。タイトル保持者の久保利明王将の調子が、特別悪いとは思えなかったが、第3局までで王将の側に、こう指せば勝ちだったという明らかなチャンスがないまま、久保は3連敗を喫した。初戦の静岡・掛川城の次は、大阪府高槻市、栃木県大田原市と転2019/03/11夕刊フジ詳しく見る
2019/03/02
【勝負師たちの系譜】失冠の羽生九段が1位 “戦国”を象徴…2018年獲得賞金ランキング
日本将棋連盟では毎年、棋士の獲得賞金ランキング(10位まで)を発表している。賞金とは、タイトル戦やトーナメント棋戦の優勝賞金(準優勝も)のほか、予選の対局料、毎月の固定給も含まれ、イベントや出版の収入は別だ。固定給(正確には参稼報償金)とは、順位戦の対局料の代わりに、主に名人戦の契約金から毎月均等に2019/03/02夕刊フジ詳しく見る
2019/02/19
【勝負師たちの系譜】「棋神」の如き渡辺棋王 二冠へ王手
★棋王戦(1)棋王戦は、北は河北新報社(宮城県)、南は沖縄タイムス社からなる、地方新聞社20社を主催社とし、共同通信社が運営を行っている棋戦で、1974年に発足した。もっとも地方紙は、隣の県紙とはライバル関係という所もあり、棋王戦の発足当時は日本将棋連盟杯、その後は天王戦を掲載していた社もあったが、2019/02/19夕刊フジ詳しく見る
2019/02/12
【勝負師たちの系譜】順位戦、豊島か羽生か広瀬か…名人挑戦権争いは最終局へ
★順位戦(5)A級順位戦8回戦は、1月31日、5局一斉に行われた。一番の注目は何といっても、大阪で行われた羽生善治九段-豊島将之二冠の、6勝1敗同士の対決であろう。羽生ファンにとっては、タイトル100期をぜひ実現してほしいと思うだろうし、豊島ファンからすれば、昨年あと1勝で名人挑戦者まで行きながら逃2019/02/12夕刊フジ詳しく見る
2019/02/05
【勝負師たちの系譜】昇降級を左右する恐ろしさ「順位戦」 関係する棋士の顔つきは厳しく
★順位戦(4)順位戦は6月から3月まで行われ、昇級者(A級は挑戦者)と降級者(B2以下は降級点)を決める戦いだ。棋士の格付けをする棋戦と言ってよい。新年になると各組残り3局になり、昇級や降級に関係する棋士は特に、顔つきが厳しくなる。通常は年内に昇級者(B1~C1は2人)が決まることはないが、今期はB2019/02/05夕刊フジ詳しく見る
2019/01/07
【勝負師たちの系譜】タイトル争いの条件は生涯勝率 2019年の将棋界展望
あけましておめでとうございます。本欄の今年の始まりに、昨年の印象と今年の将棋界の展望を占ってみたいと思う。昨年の男性のタイトル戦は、前半はタイトル保持者が手堅く防衛したものの、後半になると挑戦者が次々にタイトルを奪うという、波乱の年だった。まず新年最初のタイトル戦の王将戦は、久保利明王将が、次に棋王2019/01/07夕刊フジ詳しく見る
2019/01/04
【勝負師たちの系譜】竜王戦 “数字”の確かさ証明した広瀬八段の勝利
★竜王戦(4)竜王位の行方を決める最終第7局は、山口県下関市の『春帆楼』で行われた。ここは、「ふぐ料理公許第一号」として知られる老舗の料亭だ。それにしても来ない可能性のあるこの第7局を、下関市がよく誘致したものと私は思った。もっとも今回は、羽生善治竜王が勝てば、タイトル通算100期となる上に、敗れれ2019/01/04夕刊フジ詳しく見る
2018/12/17
【勝負師たちの系譜】居飛車党に転じ一皮むけた広瀬八段 1組でしのぎを削る超一流棋士たち
★竜王戦(3)タイトル戦で各棋士のランクが決められているのは、名人戦に繋がる順位戦のクラスと、竜王戦の組だけである。順位戦は最高がAクラス、竜王戦は1組だから、Aクラス(名人含む)で1組(竜王含む)に在籍している棋士が、現在の超一流棋士と言えるだろう。現在、この条件に該当するのは、羽生善治竜王、豊島グラス タイトル保持者 タイトル戦 一流棋士 一流棋士たち 三浦弘行 久保利明王将 佐藤康光 勝負師たち 名人戦 居飛車党 広瀬 広瀬章人 棋士 深浦康 稲葉陽 竜王戦 糸谷哲郎 羽生善治竜王 豊島将之棋聖 順位戦 Aクラス2018/12/17夕刊フジ詳しく見る
2018/12/03
【勝負師たちの系譜】容易ではなかった「竜王戦」の創設…大山名人が反対
★竜王戦(2)竜王戦は、名人戦と並び、一位の棋戦を作るということで発足した。しかしその成立までは容易ではなかった。将棋連盟側の大御所、大山康晴15世名人が反対したからである。大山は名人戦を主催していた、毎日新聞社の嘱託だったが、新聞社の代弁ではない。一人の棋士だけが潤う棋戦は作るべきではない、という2018/12/03夕刊フジ詳しく見る
2018/11/17
【勝負師たちの系譜】優勝賞金4320万円 「竜王戦」は棋界最高峰のタイトル戦
★竜王戦(1)竜王戦は読売新聞社主催で、優勝賞金は将棋界最高の4320万円という、タイトル戦の席次1位の棋戦である。昭和の時代の十段戦を発展解消し、竜王戦を開始したのは1988年で、初代竜王は島朗九段。当時は六段で、米長邦雄永世棋聖との七番勝負を4-0で勝っての獲得だった。第2期には台頭著しい羽生善2018/11/17夕刊フジ詳しく見る
2018/11/05
【勝負師たちの系譜】王座戦、斎藤慎太郎七段が初戴冠! 西高東低時代突入か
★王座戦(4)お互い2勝2敗で迎えた王座戦五番勝負の最終局は、10月30日、甲府市の湯村温泉『常磐ホテル』で行われた。湯村温泉は武田信玄公の隠し湯として知られ、中でも常磐ホテルは歴代の皇室が泊まられた名門ホテルである。最近はタイトル戦で、このホテルの名前を見かけることが多いのではないだろうか。それは2018/11/05夕刊フジ詳しく見る
2018/10/29
【勝負師たちの系譜】時代で変遷する対局場 新たなファン作りだすイケメン棋士
★王座戦(3)私が奨励会に入った昭和40年代(1965年~)は、対局場と言えば有名旅館か、料亭のような所ばかりであった。現代のように地方からの誘致がない時代だから、対局者にできる限り、集中して将棋を指してほしいという主催者の配慮で、良く使われた旅館に愛知県西浦温泉の『銀波荘』、山形県天童温泉の『滝の2018/10/29夕刊フジ詳しく見る
2018/10/22
【勝負師たちの系譜】自分が本当にタイトルを取れるのか… 王座戦、挑戦者を阻む“重み”
★王座戦(2)王座戦は私にとっては縁のある棋戦である。唯一、タイトル戦を戦った経験のある棋戦だからだ。平成元年、1989年のことで、私が36歳の時。決勝で当時台頭してきた55年組の一人、南芳一王将(当時)を破っての挑戦だった。今考えてみると、この年は羽生善治竜王が19歳で初めてタイトル(竜王)を奪取2018/10/22夕刊フジ詳しく見る
2018/10/15
【勝負師たちの系譜】王座戦 平成以降はほぼ羽生善治竜王が独占も…台頭する若手棋士たち
★(1)王座戦は全タイトル中、最もタイトルの移動が少ない棋戦と言ってよい。つまり一人の棋士が、長くタイトルを取り続ける棋戦という意味だ。主催(掲載)は日本経済新聞社で、第1期から30期までは、準タイトル戦だった。従って、この間に王座になった棋士は、タイトル獲得数にカウントされていない。大山康晴15世2018/10/15夕刊フジ詳しく見る
2018/09/10
【勝負師たちの系譜】藤井七段との対戦記 羽生竜王のような指し回しに驚嘆
この度、藤井聡太七段と対局をする機会があったので、その感想を述べてみたい。私は今期、現役棋士として45年目に入り、全現役棋士中では2番目の年長者(最年長は関西の桐山清澄九段)である。長く現役を続けたおかげで、30歳年上の大山康晴15世名人から、50歳近く下の藤井七段まで、本気の勝負ができたのは、棋士2018/09/10夕刊フジ詳しく見る
2018/08/21
【勝負師たちの系譜】他人の「星」に左右される昇降級
★順位戦(3)順位戦はリーグ戦だから昇級、降級ともに、他人の星が関係することが多い。私自身も棋士になって2年目のC級2組順位戦で、最終局を勝ち、競争相手が敗れたという、他力で上がったことがある。この時私は大阪での対局が早めに終わり、静岡県焼津市の実家に帰って早々と寝てしまった。東京で私の競争相手の下2018/08/21夕刊フジ詳しく見る
2018/08/16
横浜商 古屋文雄元監督 選手へのケア行き届いた日大三 投打に戦力充実
語りき~歴史を彩った勝負師たち~第11日】「Y校」の名を全国にとどろかせたのが、横浜商の古屋文雄元監督(74)だ。同氏は第3試合の日大三―奈良大付戦を通じて、現代の高校野球は監督だけでなく、優秀なスタッフをそろえなければ選手は育成できないと指摘した。1896年創部の名門野球部の低迷期を「対話路線」で2018/08/16スポーツニッポン詳しく見る
2018/08/14
如水館・迫田穆成監督 近江が見せた古き良き野球 よみがえる江川攻略の記憶
語りき~歴史を彩った勝負師たち~第9日】如水館(広島)の迫田穆成監督(79)が前橋育英―近江の一戦を甲子園で観戦した。広島商監督として73年春に作新学院の「怪物」江川卓を打倒し、同夏は静岡との決勝でサヨナラスリーバントスクイズを成功させた策士。「高校野球」を見つめる視線は今なお熱い。変化球なら併殺を2018/08/14スポーツニッポン詳しく見る
2018/07/30
【勝負師たちの系譜】衝撃的だった1996年の棋聖戦 絶対王者・羽生七冠の陥落
★ヒューリック杯棋聖戦(5)棋聖戦は私自身にとっても、思い出すシーンが多い棋戦である。三段時代はタイトル戦になると産経新聞社に詰め、棋譜や図面の点検をする仕事をした。当時は指し手を電話で送る時、現地から「3五銀、シルバー」という感じで送られてきた時代だった。1974年の棋聖戦第5局、米長邦雄棋聖-内2018/07/30夕刊フジ詳しく見る
2018/07/23
【勝負師たちの系譜】初タイトルの最年少記録は? 屋敷伸之氏の才能表す勝ち星15勝
★ヒューリック杯棋聖戦(4)初タイトルの最年長記録は有吉道夫九段だが、最年少記録もやはり棋聖戦における屋敷伸之五段(当時)で、中原誠棋聖から奪取したもの。18歳の時だった。屋敷はその前期も、17歳の四段で挑戦者となっていて、最年少挑戦記録も持っている。屋敷が奪取した時も棋聖戦ではよくある、2連敗から2018/07/23夕刊フジ詳しく見る
2018/06/25
【勝負師たちの系譜】タイトルを取らないと生きていけない、切迫感でつかんだ初タイトル 渡部愛女流王位
★渡部愛女流王位棋聖戦の連載中だが、話題の女流棋士がタイトルを獲得したので、今回はぜひ紹介してみたい。その棋士とは、里見香奈女流王位に挑戦していた、渡部愛女流二段(いずれも当時)である。渡部は北海道・十勝の生まれ。中学2年の時に同じ北海道出身の中井広恵女流六段と出会い、女流棋士の道を目指すことになっ2018/06/25夕刊フジ詳しく見る
2018/05/26
【勝負師たちの系譜】始まりはコンピューターvs人間 電王戦を発展させた叡王戦
★叡王戦(1)叡王戦は昨年、34年ぶりに発足したドワンゴ社主催のタイトル戦で、現在、金井恒太六段と高見泰地六段との間で、七番勝負が戦われている。ドワンゴ社はコンピューターとプロ棋士の対決の企画である電王戦から、将棋界に参入した。コンピューター将棋の研究は、50年ほど前から始まったが、10年前にはプロコンピューター コンピューター将棋 コンピューターvs人間 タイトル戦 ドワンゴ社 ドワンゴ社主催 プロ棋士 勝負 勝負師たち 叡王戦 対局者 将棋界 日本将棋連盟 米長邦雄会長 金井恒太 電王戦 高見泰地2018/05/26夕刊フジ詳しく見る
2018/05/19
【勝負師たちの系譜】七冠と永世七冠の違いは? 永世七冠祝賀会で驚いた羽生氏の人間性
★永世七冠祝賀会「七冠は分かりますが、永世七冠とは何ですか」と聞かれたことがある。七冠は囲碁の井山裕太氏のように、7つあるタイトルを独占することだから、誰でもわかる。永世七冠はタイトル別に規定の回数を取る(防衛する)と、永世称号を名乗る(原則引退後)ことができ、すべてのタイトル戦で永世(王座は名誉)2018/05/19夕刊フジ詳しく見る
2018/05/12
【勝負師たちの系譜】豊島将之八段、5度目のタイトル挑戦で結果出せるか
★豊島将之八段将棋界では4~5月は順位戦がなく、オフシーズンと言われる。しかし勝っている棋士にとってこの時期は、重大な対局が目白押しだ。その一つが棋聖戦の本戦トーナメントで、挑戦者決定戦が連休の谷間の5月1日に行われ、豊島将之八段が三浦弘行九段に勝って、挑戦を決めた。豊島は藤井聡太六段と同じ、愛知県2018/05/12夕刊フジ詳しく見る
2018/04/23
【勝負師たちの系譜】夢かなえた2人の元奨励会員 退会後に試験で直接プロ棋士に
現役棋士で奨励会からでなく、試験で直接プロになった棋士が2人いる。瀬川晶司五段と、今泉健司四段である。2人とも元奨励会員で、三段リーグを戦ったが26歳までに四段になれず、一旦奨励会を去った。瀬川はそれから大学に行き、NECの関連会社に入った。しかしアマとなって全国大会に出場し、優勝者に与えられるプロ2018/04/23夕刊フジ詳しく見る
2018/04/16
【勝負師たちの系譜】三段リーグは人生かけた絶望との戦い 「上がれなかったらこのビルの屋上から飛び降りるのか」という夢を何回見たかわからない
★三段リーグ(2)三段リーグに東西決戦があった頃(1974年まで)の敗者は、惨めであった。敗れて何も考えられず、娯楽室で先輩棋士の麻雀を見ていると、「君はこんなところにいていいのかね」と、勝者が言ったという話がある。ここは奨励会員の来る所ではない、という意味である。三段リーグ廃止の後は、月4局で122018/04/16夕刊フジ詳しく見る
2018/04/09
【勝負師たちの系譜】将棋界で一番過酷な勝負、藤井六段も5敗した最難関「三段リーグ」
★三段リーグ(1)将棋界で一番過酷な勝負は何か、ご存じだろうか。タイトル戦の番勝負や、昇降級を賭けた順位戦ではない。今年2月、里見香奈女流五冠が四段になれず、奨励会を去ったことが報道された、三段リーグである。プロ棋士になるにはまず、養成機関である奨励会に入らねばならない。試験に合格して6級(アマ四~2018/04/09夕刊フジ詳しく見る
2018/03/27
【勝負師たちの系譜】戦後創設も狭き門だった「九段昇段」 長く続いた3人しかいない時代
私が将棋の世界を知らない人に九段の名刺を出すと、大抵「段位というのは何段まであるのですか」と聞かれる。「羽生善治竜王も段位は九段です」と言うと、妙に納得されるようである。戦前までは、将棋の段位は八段が最高で、その上は名人しかいなかった。しかし戦後、名人位を失った人が元の八段ではということで、大山康晴2018/03/27夕刊フジ詳しく見る
2018/03/19
【勝負師たちの系譜】連続昇段の藤井聡太六段、「竜王奪取で八段」も現実味
今、藤井聡太六段の最年少かつ、連続昇段が話題となっている。何せ一昨年の10月、中学2年で四段(プロ棋士)になったと思ったら、今年の2月、中学生の間に五段。そしてわずか16日後に、六段に昇段したからだ。もちろん中学生での六段は、史上初である。簡単に昇段規定を記すと、昇段の基本は名人戦に繋がる順位戦での2018/03/19夕刊フジ詳しく見る
2018/03/13
【勝負師たちの系譜】里見香奈女流五冠、高かった棋士の「壁」 病気克服も三段リーグを抜けることができず
★里見香奈女流五冠(2)里見香奈女流五冠が奨励会への入会を申し出たのは、2011年、19歳の時である。ただし一つ問題があった。それまで奨励会を退会して、女流棋士になった人は何人かいたが、その反対はいなかったのだ。里見は当時、女流棋戦の三冠(女流名人、女流王将、倉敷藤花)を持ち、これを返上しても良い覚2018/03/13夕刊フジ詳しく見る
2018/02/10
【勝負師たちの系譜】米長邦雄永世棋聖、名人位挑戦も6度敗退 高かった中原名人の「壁」
★米長邦雄(2)米長邦雄永世棋聖が容易にタイトルを取れなかったのは、米長が棋士になった頃、大山康晴15世名人が全盛期だったこと。もう一つは後輩の中原誠16世名人が急台頭し、大山の後継者のようにタイトルを奪っていったことも、大きな原因である。米長の初タイトルは、1973年の棋聖戦だった。相手は有吉道夫2018/02/10夕刊フジ詳しく見る
2018/02/03
【勝負師たちの系譜】ファン魅了した発信の天才・米長邦雄永世棋聖 「兄貴たちはバカだから東大に行った」
★米長邦雄(1)米長邦雄永世棋聖は、将棋の強さもさることながら、自ら発信するパフォーマンスで、ファンを魅了した棋士であった。山梨県の増穂町(現富士川町)で生まれ、4人兄弟の末っ子。「兄貴たちはバカだから東大に行った」という、あまりにも有名なジョークがある。これを私なりに理解すると、兄達は皆、秀才であ2018/02/03夕刊フジ詳しく見る
2018/01/29
【勝負師たちの系譜】新手一生を目指した升田名人、賞創設で永遠に残る名に 最初の受賞者は内藤九段
★升田幸三(4)升田幸三実力制第四代名人が、現役として対局したのは1977年度までだから、私より少し後輩の田中寅彦九段が、公式戦を戦った最後の世代となる。私の唯一の公式戦は、74年4月に四段になって数カ月後の棋聖戦二次予選で、本戦入りの一番。私は最初で最後かもという思いもあり、暑い日だったが着物を着2018/01/29夕刊フジ詳しく見る
2018/01/22
【勝負師たちの系譜】「升田式石田流」を世に出した1971年の名人戦七番勝負 升田幸三の一手は永久に残る妙手に
★升田幸三(3)升田幸三実力制第四代名人の棋神とも言える時代は、3年ほど続いたものの、1958年からは大山康晴15世名人の巻き返しを許し、タイトルをすべて手放すことになる。その後は、九段戦から発展解消した十段戦でも第1期から3期まで、フルセットに近い戦いを演じるなど、タイトル戦には幾度か挑戦したが、2018/01/22夕刊フジ詳しく見る
2018/01/15
【勝負師たちの系譜】棋神の強さで初の三冠王、升田幸三「戦地で逃げ回っている時も『木村名人に勝ちたい…』」
★升田幸三(2)1949年、木村義雄14世名人は関東の俊英、塚田正夫名誉十段に奪われていた名人位を取り返し、復活を遂げた。翌年は大山康晴15世名人、その次は升田幸三実力制第四代名人の挑戦を退け、健在を見せつけた。しかしその翌年になると、さすがの木村も47歳となり、衰えを見せ始めた。次は升田という世評2018/01/15夕刊フジ詳しく見る
2018/01/10
【勝負師たちの系譜】プロ棋士に大きな影響を与えた升田幸三実力制第四代名人、「新手一生」貫いた独創将棋
★升田幸三(1)「将棋界で真の天才と呼べるのは、升田幸三と羽生善治だけ」と言った人がいるが、私もなるほどと思った覚えがある。升田幸三実力制第四代名人は、「新手一生」の精神で、生涯独創的な将棋を指し続けた。その指し方は、後輩のプロ棋士に大きな影響を与え、またファンを魅了したものである。升田は広島県三次2018/01/10夕刊フジ詳しく見る
2017/12/25
【勝負師たちの系譜】「藤井フィーバー」「永世七冠」の功績 女流棋界も新しいスターが欲しいところ
今年の将棋界をひと言で言えば、藤井聡太フィーバーで始まり、羽生善治棋聖の永世七冠で終わった、話題豊富な1年だったと言えるだろう。昨年の暮れ、藤井四段が竜王戦6組の1回戦において、最年長棋士の加藤一二三九段に勝利した時から、彼は何か持っているという予感はあった。それにしてもデビューからいきなり、新記録2017/12/25夕刊フジ詳しく見る
2017/12/11
【勝負師たちの系譜】羽生氏の『永世七冠』は追求心が生んだ金字塔 前例のない仕掛け成功、覚悟している世代交代
★羽生善治「永世七冠」前人未到かつ奇跡とも言える『永世七冠』を懸けて、渡辺明竜王に挑んでいた羽生善治棋聖が、12月4、5日に行われた竜王戦第5局に勝ち、4勝1敗で竜王位を奪取して達成した。永世七冠とは、今年創設された叡王戦を除き、従来からある7つのタイトル全てで永世称号(王座のみ名誉称号)を得ること2017/12/11夕刊フジ詳しく見る
2017/12/07
羽生氏、「永世七冠」に奇策使っていた 立会人・青野九段が激白「誰もやったことのないような仕掛け方を大一番に」
を達成したのだ。歴史的大一番で立会人を務め、夕刊フジで「勝負師たちの系譜」を連載(毎週金曜)する青野照市九段(64)が、40代後半でも進化を続ける羽生新竜王の凄さを激白した。「羽生新竜王の今回の将棋は、前例の全くない仕掛け方だった」青野九段が驚いたのは1日目に羽生新竜王が指した37手目。渡辺前竜王の2017/12/07夕刊フジ詳しく見る
2017/11/20
【勝負師たちの系譜】大山康晴名人「ワシは強い者が好きだ」 A級から一度も落ちなかった鉄人
★大山康晴(1)故大山康晴十五世名人を表すのに、「鉄人」という言葉ほどピッタリするものはないと思う。名人位に就くこと、一位の18期。タイトル獲得数は羽生善治棋聖に次ぐ(昔はタイトル戦の数も少なかった)80期で、棋戦優勝44回という抜群の成績を残している。しかし私がそれ以上に不滅と思うのは、69歳で亡2017/11/20夕刊フジ詳しく見る
2017/11/13
【勝負師たちの系譜】谷川九段は強靭な精神力の持ち主 「重責」「騒動」経てA級復帰照準へ
★谷川浩司(4)将棋界には第1人者になったら、いつかは運営面でも将棋界を盛り立てる義務を負う、という不文律がある。1976年以降の将棋連盟の会長も、大山康晴15世名人、二上達也九段、中原誠16世名人、米長邦雄永世棋聖と、トップ棋士が続いている。2011年の定時総会で、谷川浩司九段は当時A級棋士だったトップ棋士 不文律 中原誠 二上達也 会長 公益社団法人 勝負師たち 名人 大山康晴 定時総会 将棋界 将棋連盟 渉外担当 理事選挙 米長 米長邦雄永世棋聖 精神力 谷川 谷川浩司 運営面 A級復帰照準 A級棋士2017/11/13夕刊フジ詳しく見る
2017/10/30
【勝負師たちの系譜】谷川浩司氏、「光速の寄せ」でタイトル復帰 将棋の世界は精神の持ちようで立場が逆転
★谷川浩司(3)スポーツの世界でもそうだが、高みに昇った人ほど、いつかは逆に頂点から落とされる悲哀を味わうことになる。1996年2月14日。将棋界初の七冠を達成され、多くの報道陣に羽生善治が囲まれていた時、敗れた谷川浩司の憔悴ぶりは、尋常ではなかった。自身が同じように、王者を引きずり降ろした経験があ2017/10/30夕刊フジ詳しく見る
2017/10/12
【勝負師たちの系譜】「プロ感覚」覆した先駆者 第一感で捨てる手に新しさ見いだした感性
★渡辺明(3)将棋界には自分の対局以上に、弟子の養成に力を入れる棋士がいる。渡辺明竜王の師匠、所司和晴七段もその一人だ。同門には松尾歩八段や、詰将棋解答選手権を6回優勝した宮田敦史六段など7人いるが、タイトルを取ったのは渡辺だけ。もっとも松尾は今期竜王戦の挑戦権を、羽生善治棋聖・王座と争った実力者で2017/10/12夕刊フジ詳しく見る
2017/09/19
【勝負師たちの系譜】羽生善治氏の時代を意識し動く使命感 AI取材で海外に、帰国後は学生同士の交流会
★羽生善治(4)数々の記録を作った羽生善治棋聖・王座も、この9月中に47歳になる。40代後半には、ほとんどの歴代の第一人者がその座を明け渡しているから、まだ10連覇の棋聖位を含むタイトルを2つ持っていることを、たたえるべきだろう。40代後半となると体力的に落ちる上に、第一人者に叩かれた経験がない棋士2017/09/19夕刊フジ詳しく見る
2017/08/29
羽生善治三冠、“生涯勝率”に現れる無双の強さ 同世代のライバルと一線画す驚異の成績
【勝負師たちの系譜】羽生善治三冠歴代の棋士でタイトルを独占したことがあるのは、三冠時代の升田幸三実力制第四代名人(1957)、五冠時代の大山康晴十五世名人(62)、そして七冠時代の羽生善治現三冠(96)の、3人だけである。いつの時代でも独占というのは、本人が強いだけでなく、周りの棋士から「あの人には2017/08/29夕刊フジ詳しく見る
2017/08/19
藤井四段の前に立ちふさがる同年代ライバル スキがない増田康宏四段
【勝負師たちの系譜】藤井聡太四段藤井聡太四段の才能は皆が認めても、ライバルとなる棋士は多くいる。棋界には「前後一回り違いは、どうしても倒さねばならない敵」という風潮がある。これが二回り違うと、後継者のように見えるらしいのだ。かつて木村義雄十四世名人は、若き大山康晴(後の十五世)に名人を奪われた時「良2017/08/19夕刊フジ詳しく見る
2017/08/08
藤井四段、コンピューター将棋研究で飛躍 千田六段に使い方教わる
【勝負師たちの系譜】藤井聡太四段コンピューター将棋の研究は、昭和40年代頃から始まった。当初は詰将棋の3手詰めを解くのが精いっぱいで、しばらくして出回った対戦できるソフトも、プロには2枚落ち(飛車と角落ち)でも勝てないレベルだった。しかしすぐに詰将棋に関しては、簡単に人間を抜き去った。普通のプロが12017/08/08夕刊フジ詳しく見る
2017/07/31
藤井四段、異常に低い悪手率を数字が証明 先輩棋士は最初から才能認めていた
【勝負師たちの系譜】藤井聡太四段藤井聡太四段は昨年、加藤一二三九段の持つ14歳7カ月という最年少プロ棋士の記録を、5カ月塗り替えるという、大記録を打ちたてた。とは言え、デビュー早々の棋士がこんなに騒がれるのは初めてだ。七冠を制覇した同じ中学生棋士の羽生善治現3冠でさえ、四段の頃は苦手な先輩棋士がいた2017/07/31夕刊フジ詳しく見る