大仁田厚ヒストリー
2017/10/31
【大仁田厚ヒストリー〈最終回〉】次の夢は町作り「歴史に名を残せればいいなって思う」
大仁田厚は、60歳になった。カリスマとなり、中傷を受けながら迎えた還暦。その人生は、邪道と呼ばれた。「邪道っていうのは自分の生き方。世間から何を言われようと、これは曲げられない。オレはブレるっていうことを知らないし、ブレ方が分からないんだよね。自分自身は、選ばれているとも才能があるとも思わない。だけ2017/10/31スポーツ報知詳しく見る
2017/10/20
【大仁田厚ヒストリー〈20〉】猪木に勝った天龍にフォール勝ち…引退ロードへ
1993年。敗血症で死に直面した35歳の大仁田厚は、引退を決意した。あとは、どのタイミングで引退を発表するか。ファンが納得する大義名分と最大のインパクトを探していた。6月にはミスター・ポーゴがFMWへ復帰した。3年前に離脱し新団体「W☆ING」に移ったポーゴだったが「復帰したいってポーゴさんの方から2017/10/20スポーツ報知詳しく見る
2017/10/17
【大仁田厚ヒストリー〈17〉】1991年9月23日、初の川崎球場進出、団体の命運をかけた新日本との興行戦争
1991年9月23日。大仁田厚は、川崎球場のリングに立った。試合は、ノーロープ有刺鉄線金網電流爆破デスマッチ。相手はターザン後藤だった。「内野席の上の方に空席があって、正直言って超満員ではなかったけど、形にはなっていた」新日本プロレスの横浜アリーナ大会との同日興行。新日本は、メインにグレート・ムタとターザン後藤 ノーロープ有刺鉄線金網電流爆破デスマッチ 仁田厚 内野席 大仁田 大仁田厚ヒストリー 川崎球場 川崎球場進出 新日本 日本プロレス 横浜アリーナ大会 橋本真也対トニー 異種格闘技戦 興行 興行戦争 藤波辰爾2017/10/17スポーツ報知詳しく見る
2017/10/11
【大仁田厚ヒストリー〈11〉】FMW旗揚げへ、タブーを破った会見での「乱入あり」
空手家・青柳政司との試合で手応えを得た31歳の大仁田厚は、1988年夏、新団体「FMW」の旗揚げへ動き出した。「おもちゃ箱をひっくり返したような何が飛び出すんだろう、何をやるんだろうってそんなプロレスをやりたかった」イメージは膨らんだが、資金も事務所もなかった。頼ったのは全日本時代から親しかった山口2017/10/11スポーツ報知詳しく見る
2017/10/02
【大仁田厚ヒストリー〈2〉】アドベンチャー少年がたどりついた「ぬりかべのような巨人」
12歳の大仁田厚は、暮らしていた東京から父親の平八郎に連れられ、ふるさとの長崎へ戻った。この時、大仁田は「オヤジから離れる」と決意した。赤紙を貼られた小2の夜。離婚し母との生活も引き裂かれた。東京での暮らしも強引に打ち切られた。義理の母との関係もうまくいかなかった。父に翻弄され続ける生活は、12歳の2017/10/02スポーツ報知詳しく見る