大会余話
2018/08/15
「白球飛び交うところに平和あり」――100回大会の8月15日に思う
球~高校野球100回大会余話】100回大会の8月15日に沖縄代表・興南の試合があるというのも何かの因縁だろうか。我喜屋優監督は50年前、1968(昭和43)年の50回大会に興南の主将、4番打者として出場。沖縄勢として初めてベスト4に進出、旋風を巻き起こした。終戦の日の正午は西宮市の浜甲子園スポーツセ2018/08/15スポーツニッポン詳しく見る
2018/07/23
「高校野球は世界遺産」の原点――和歌山中ボールボーイだった佐山和夫さん
球~高校野球100回大会余話】和中(わちゅう)と呼ばれた和歌山中(現桐蔭高)のグラウンドには観覧用のスタンドがある。全国中等学校優勝野球大会(今の夏の甲子園大会)で史上初の連覇を達成した1922(大正11)年11月完成。同年12月、皇太子殿下(後の昭和天皇)が来校し、初めて野球を台覧されるため、当時2018/07/23スポーツニッポン詳しく見る
2018/06/22
キューピーの謎――GHQが進めた「野球民主主義」
球~高校野球100回大会余話】京都二中(現・鳥羽高)三塁手として戦後復活の全国大会に出場した黒田脩さん(88=西宮市)は今もその小さなメダルを大切に保管している。1946(昭和21)年8月、西宮球場で開かれた第28回全国中等学校優勝野球大会(今の全国高校野球選手権大会)の参加章だ。直径3センチほどの2018/06/22スポーツニッポン詳しく見る
2018/06/12
“延長40回”から“幻の甲子園”へ――関口清治の悔恨と歓喜
球~高校野球100回大会余話】関口清治は温厚な人柄で知られた。近鉄担当のころ、元監督のOBとして何度か接したことがある。1981(昭和56)年10月、勇退する西本幸雄が「これまでまじめにやってきたんだ。一度くらい日の当たるところでやるべきやろう」と打撃コーチだった関口を後任に指名した。監督を要請した2018/06/12スポーツニッポン詳しく見る
2018/05/22
大会直前、突然の中止――優勝旗と眠った海草中
球~高校野球100回大会余話】あのころ、選手たちは優勝旗の房をちぎってお守りにしたんや――なかには優勝旗を抱いて眠った者もいる――。死んだ父から何度も聞かされた逸話である。父は和歌山・向陽高を卒業していた。おそらく、同校に戦前から長く伝わる伝説なのだろう。野球記者となって知ったことだが、戦前、大阪の2018/05/22スポーツニッポン詳しく見る