壮烈人生
2019/01/04
【番記者だけが知る女優・樹木希林の壮烈人生】40年以上たっても崩れなかった…希林さんの一徹な「離婚しない」態度
★(5)ロック歌手の内田裕也と1973年10月に結婚したが1年半で別居。その間のことを「意見が合うときは最高に仲がいいんだけど、一度すれ違っちゃうともうダメ。殴り合いの大げんかになり、彼は出て行く」と話す。けんかが始まると大声で怒鳴りあい、物が部屋中を飛び交うそうで「マンションの隣や下の階の人は強烈2019/01/04夕刊フジ詳しく見る
2018/12/28
【番記者だけが知る女優・樹木希林の壮烈人生】シトロエン乗りこなす“カーマニア”樹木希林さん ポリシーは「どんなに醜かろうがいい車はいい」
★(4)樹木希林さん(当時は悠木千帆)に取材を電話で申し込むと、必ず留守番電話で「はい、夜樹車(個人事務所名)でございます。ご用件をどうぞ?」から始まる。マネジャーを雇わない理由を問うと「人を養えば、その人の生活を守る義務が生まれる。それは面倒なこと」とのこと。私は彼女を「合理的で経済的な人柄」と思2018/12/28夕刊フジ詳しく見る
2018/12/27
【番記者だけが知る女優・樹木希林の壮烈人生】芸名「悠木千帆」を2万2000円で売却… 新芸名「樹木希林」誕生と大ヒットまで
★(3)樹木希林さんは1964年に森繁久弥主演のテレビドラマ「七人の孫」にレギュラー出演して注目を浴びたが、当時の芸名は「悠木千帆」だ。「芸能界では勇気が必要」と父親が考案し、最初は「勇気凛々」という言葉から「悠木凜子」が浮かんだ。さらに版画家の前川千帆の名前を借りて「悠木千帆」が誕生したのである。2018/12/27夕刊フジ詳しく見る
2018/12/26
【番記者だけが知る女優・樹木希林の壮烈人生】32歳で“おばあちゃん女優”の地位を確固たるものに 75年「おばあちゃんの星」
★(2)TBSの人気ドラマ「寺内貫太郎一家」(1974年)で「ジュリ~」と妖しくもだえる樹木希林さんの「老け役」は大当たり。そのころ、彼女は「おばあちゃん」にはまり、まだ30代前半なのに、私に「あのね、男は年をとっておじいさんになると頑固になるだけで、な~にも勉強しないの。そこへいくと、おばあちゃん2018/12/26夕刊フジ詳しく見る
2018/12/25
【番記者だけが知る女優・樹木希林の壮烈人生】「寺内貫太郎一家」の“妙な手袋”が誕生したワケ
★(1)樹木希林さんが亡くなって3カ月。約5年間もがんと闘いながら最後まで仕事を貫いた人生はすさまじい。30代からこだわった「おばあちゃん」哲学。映画「万引き家族」はその集大成だ。彼女が「おばあちゃん」にはまった人気ドラマ「寺内貫太郎一家」(TBS、1974年)頃から親交を深めてきた番記者が希林さん2018/12/25夕刊フジ詳しく見る