ホーナー旋風
2016/09/12
【あの時・ホーナー旋風】(4)過熱報道に苦悩…メディアとの戦い
ホーナーは日本滞在中、セの5球団以外とも戦っていた。相手は過熱報道を繰り広げるメディアだった。87年7月1日、神宮での巨人戦。ホーナーは吐き気と頭痛を訴え、2回途中で退場し、球場近くにある慶応病院へ直行した。通訳と広報も兼務してサポートした中島国章は回想する。「木によじ登って、写真を撮るカメラマンも2016/09/12スポーツ報知詳しく見る【あの時・ホーナー旋風】(5)「99・9%日本に戻らない」帰国後発言の真意
87年オフ。ホーナーが帰国してから約1か月後の11月25日。AP通信が報じた電話インタビューは、日本中に衝撃をもたらした。「99・9%、日本に戻らない。野球ではない何かをプレーするために、地球を半周するのは考えものだ。日本の人たちは私に非常に良くしてくれたが、私は大リーグにカムバックする準備ができて2016/09/12スポーツ報知詳しく見る