番記者

番記者

2019/04/22

2019/03/28

2019/03/22

  • 【ダッグアウトの裏側】大リーグ日本開幕戦…“おもてなし”に奔走した15年前

    ウンドでヤンキースの番記者と記念撮影をした。15年前、米国に駐在していた筆者は、開幕戦のために一時帰国。ヤ軍の選手や番記者のガイド役として奔走(ほんそう)した思い出がある。ヤ軍の番記者を東京・大手町のサンケイスポーツ編集局や浅草に案内。老舗の今半ですき焼きを食べ、赤坂のバーでグラスを傾けた。東京ドー
    2019/03/22夕刊フジ
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2019/01/25

2019/01/04

  • 【番記者だけが知る女優・樹木希林の壮烈人生】40年以上たっても崩れなかった…希林さんの一徹な「離婚しない」態度

    ★(5)ロック歌手の内田裕也と1973年10月に結婚したが1年半で別居。その間のことを「意見が合うときは最高に仲がいいんだけど、一度すれ違っちゃうともうダメ。殴り合いの大げんかになり、彼は出て行く」と話す。けんかが始まると大声で怒鳴りあい、物が部屋中を飛び交うそうで「マンションの隣や下の階の人は強烈
    2019/01/04夕刊フジ
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2018/12/28

2018/12/27

2018/12/26

  • 【番記者だけが知る女優・樹木希林の壮烈人生】32歳で“おばあちゃん女優”の地位を確固たるものに 75年「おばあちゃんの星」

    ★(2)TBSの人気ドラマ「寺内貫太郎一家」(1974年)で「ジュリ~」と妖しくもだえる樹木希林さんの「老け役」は大当たり。そのころ、彼女は「おばあちゃん」にはまり、まだ30代前半なのに、私に「あのね、男は年をとっておじいさんになると頑固になるだけで、な~にも勉強しないの。そこへいくと、おばあちゃん
    2018/12/26夕刊フジ
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2018/12/25

2018/12/21

2018/11/29

2018/11/28

2018/11/27

2018/11/26

2018/10/30

2018/10/16

2018/09/06

2018/09/05

2018/09/04

  • 【番記者が明かすコント55号・坂上二郎伝説】欽ちゃん「もっとも嫌いな番組だった」 2人の芸風の違いが浮き彫りになった「裏番組をぶっとばせ!」

    ★(2)コント55号のほとんどの番組は、突っ込みの欽ちゃん(萩本欽一)が、二郎さん(坂上二郎)を振り回すコントで進行したが、二郎さんが脚光を浴びたバラエティー番組も多々ある。1969年4月から1年間放送された日本テレビ「コント55号の裏番組をぶっとばせ!」は「日曜夜8時のNHK大河ドラマをぶっとばそ
    2018/09/04夕刊フジ
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2018/09/03

2018/07/24

2018/07/14

  • 殿堂入り原辰徳さんは「ファンのため」記者にも全力…元番記者の目

    3年務めた巨人担当キャップ時代、チームを指揮する原さんに密着した。いつも周りは笑顔だった。偉ぶることなく、報道陣にも気さくに声をかける。野球の話だけでなく、政治、国際情勢、芸能と話し始めると、さまざまな分野にわたって会話が繰り広げられる。話の端々に、野球だけでなく、人としてどうすれば成長できるかのヒ
    2018/07/14スポーツ報知
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2018/05/23

2018/04/07

2018/03/01

2018/02/03

2017/11/16

2017/10/10

2017/06/28

  • 井口引退で思い出した前代未聞の「ぜひ書いてください」スクープ

    がまだダイエーだった時代に、番記者として接した。クールで格好良くて、華のある選手だった。個人的に忘れられないエピソードもある。会社のデータベースを検索し、2002年8月16日付けの懐かしい記事を引っ張り出した。「ダイエー・井口内野手が今オフ、ポスティング・システムでメジャーへ移籍へ」という見出しがつ
    2017/06/28スポーツ報知
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2017/06/15

2017/05/30

  • 宮里藍「2012年後半」の葛藤…番記者が振り返る

    宮里藍は会見で、モチベーションの維持が難しくなった時期は「2012年の後半」と明かした。10年に5勝して世界ランク1位にまで上り詰めた。09年から4年連続で勝利を重ね、ゴルファーとしての絶頂期に意識した引退。当時の葛藤を高木恵記者がリポートする。藍が初めて引退を意識したのは、ゴルファーとして絶頂期を
    2017/05/30スポーツ報知
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2017/05/27

2017/05/19

  • 【二十歳のころ 小林至氏(4)】パンダでも構わなかったプロ挑戦

    。球場では、ロッテの番記者に取材され、「本気なの?変わってるね~」くらいの感じでした。驚いたのはその後。川崎市内の自宅に駅から歩いて帰ると、黒い車がズラリ。僕の姿を確認するとダッと人が出てきて、たくさんのカメラを向けられました。もう、有頂天です。ところが取材を受けて家に入ると、父が猛烈に怒っていまし
    2017/05/19サンケイスポーツ
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2017/04/19

2017/02/27

2017/02/07

2016/12/30

  • 【歴代担当記者が見たSMAPの軌跡】600人小ホールで目の当たりにした国民的アイドルの力

    デカさに度肝を抜かれた。しかし、一番印象に残っているのは小さな公民館の舞台に立つメンバーの姿だ。昨年8月、震災で甚大な被害を負った岩手・山田町でNHK「のど自慢」をプロデュースした5人に帯同した(放送は9月)。番記者を卒業し、直接の担当ではなかったが、たまたま代打で行くことになったのだ。定員600人
    2016/12/30スポーツ報知
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2016/12/15

2016/11/03

2016/10/31

2016/10/23

2016/10/18

2016/10/04

2016/10/03

2016/09/29

2016/09/06

2016/08/20

2016/07/29

2016/06/15