坂上二郎伝説
2018/09/06
【番記者が明かすコント55号・坂上二郎伝説】茶の間を思いっきり泣かせたかった「夜明けの刑事」
★(4)「ルパン三世」映画化の記事を書いた私が、坂上二郎さんに電話を入れると、温和な彼が語気を強めて「あなた~、載せるのが早すぎたよ。先方(モンキー・パンチ)を怒らせたようで、他の会社に(映画化権)取られてしまったよ」。当初の計画では三船プロが「ルパン三世」を製作、二郎さんは憧れの三船敏郎氏と共演す2018/09/06夕刊フジ詳しく見る
2018/09/05
【番記者が明かすコント55号・坂上二郎伝説】タクシードライバーの一言で決まった活動休止
★(3)1966年に結成されたコント55号は、関東キー局すべてでレギュラー番組を持つ超売れっ子芸人としてお茶の間を席巻したが、70年代に入ると55号としての活動は休止状態となり、個々の道を歩みだす。きっかけは、欽ちゃんが乗ったタクシードライバーの一言だったと伝えられている。「お願いです。あんまり二郎2018/09/05夕刊フジ詳しく見る
2018/09/04
【番記者が明かすコント55号・坂上二郎伝説】欽ちゃん「もっとも嫌いな番組だった」 2人の芸風の違いが浮き彫りになった「裏番組をぶっとばせ!」
★(2)コント55号のほとんどの番組は、突っ込みの欽ちゃん(萩本欽一)が、二郎さん(坂上二郎)を振り回すコントで進行したが、二郎さんが脚光を浴びたバラエティー番組も多々ある。1969年4月から1年間放送された日本テレビ「コント55号の裏番組をぶっとばせ!」は「日曜夜8時のNHK大河ドラマをぶっとばそ2018/09/04夕刊フジ詳しく見る
2018/09/03
【番記者が明かすコント55号・坂上二郎伝説】ほとんどアドリブ? いやセリフは台本通りだった…
★(1)テレビ界はいまやお笑い番組が全盛。その元祖は「コント55号」。萩本欽一(77)とともに新たなテレビバラエティーを生んだ坂上二郎(享年76)。コント55号の初の冠番組「コント55号の世界は笑う」の誕生から50年という節目に、“天才芸人”二郎さんを改めて知っておきたい。◇歌手を志して鹿児島から上2018/09/03夕刊フジ詳しく見る