飛曹
2018/09/07
【秘録 今明かす「あの時」】米史上最強「442部隊」誕生のウラ きっかけは“2人だけで起こした戦争”
時着した西開地重徳一飛曹が島民と抗争の末、惨殺され、匿った日系人の原田義雄が自決したニイハウ島事件は2つのことを米国民に強く印象付けることになった。1つは日本兵が捕虜になることに対し、命を賭けても拒否することを米軍は初めて知る。戦陣訓の「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」の一節2018/09/07夕刊フジ詳しく見る
2018/08/21
【秘録 今明かす「あの時」】西開地一飛曹はのどを切られ惨殺、救助の日系人も自殺 ニイハウ島事件
攻撃で、西開地重徳一飛曹=当時(21)=操縦の零戦はオアフ島上空で被弾。自爆か不時着か迷った末、西開地はニイハウ島に不時着する。ハワイ諸島西端のニイハウ島は1864年以来、ロビンソン家が私的に所有し、いまでも許可なく立ち入ることができない禁断の島だった。ロビンソン家は27キロ離れたカウアイ島に居住、2018/08/21夕刊フジ詳しく見る
2018/08/13
【秘録 今明かす「あの時」】真珠湾上空で被弾、禁断の島に不時着 ニイハウ島事件
島事件。「反米傾向がなかった日系人が日本兵に味方した」と、後に日系人収容所建設のきっかけになったとされる。事件を調査した米軍が持ち帰っていた5枚の「謎の木札」が昨年、遺族に返還された。真珠湾攻撃のアナザーストーリーを追う。零戦搭乗員の西開地重徳(にしかいち・しげのり)一飛曹=当時21歳=は大正9(12018/08/13夕刊フジ詳しく見る
2018/06/15
【秘録 今明かす「あの時」】エンジンもなくただ落ちるだけの“棺桶” 「これに乗って死ぬのか」
配属された佐伯正明上飛曹が、初めて敵艦を一撃で仕留める新兵器を目の当たりにしたのは入隊の翌日だった。人間爆弾に、まだ「桜花」という正式名称はなく、考案者の大田正一少尉から「○大(マルダイ)」、もしくは「K1(ケーワン)」という暗号名で呼ばれていた。銃剣を持つ番兵が警戒する格納庫に、熊本・天草基地から2018/06/15夕刊フジ詳しく見る