玉音放送
2018/07/06
【秘録 今明かす「あの時」】生き残り特攻兵、戦友を追慕する思い消えず 「追悼することが人生の一つの仕事だった」
っていた。空襲で宿舎も焼かれ、寝起きしていたトンネルを出た広場で玉音放送を聞いた。-朕は時運の趨(おもむ)く所、堪へ難きを堪へ、忍ひ難きを忍ひ、以て万世の為に太平を開かむと欲す-「雑音がひどくてよく聞き取れなかったけど、これで終わったのか。悲しいよりも何かふぬけになったような気がして、天皇陛下は本当2018/07/06夕刊フジ詳しく見る
2017/08/16
「終戦」のサイレンが鳴った日――甲子園球場初の黙とう試合
昭和20)年の正午に玉音放送が流れた光景が――その後の映像や写真で――目に焼き付いているからだろうか。毎年、目を閉じ、先の戦争で亡くなった方々の冥福を祈る。甲子園球場では、高校野球の試合が一時中断され、サイレンが鳴り、1分間の黙とうをささげる。ことしは終戦の日に高校野球がなかった。悪天候が予想された2017/08/16スポーツニッポン詳しく見る