内田雅也
2019/06/22
【内田雅也の追球】ミスチルからの教訓――「一寸先は闇」の「平常心」
◇交流戦阪神5―3西武(2019年6月21日甲子園)浜風に乗って、アオスジアゲハが舞っていた。昼下がりの甲子園球場、阪神の試合前練習中のことだ。近畿地方はまだ梅雨入りもしていないが、風は梅雨明けを思わせる、乾いた白南風(しらはえ)だった。場内にはMr.Childrenのナンバーが流れ、銀傘に響いてい2019/06/22スポーツニッポン詳しく見る
2019/06/21
【内田雅也の追球】どん底での「感謝」――貯金使い果たした阪神、好転への考え方
◇交流戦阪神2-3楽天(2019年6月20日甲子園)痛恨だった阪神・木浪聖也の拙い走塁を問い詰める気はない。試合中、代走を出されて下がったベンチで監督・矢野燿大に説諭されていた。1点を追う8回裏無死一、三塁で三塁走者だった。近本光司の高いバウンドの三ゴロで本塁突入をためらい、同点生還を逃したのだっ2019/06/21スポーツニッポン詳しく見る
2019/06/20
【内田雅也の追球】「やさしさ」こそ最強――連夜の敗戦投手に贈る言葉
◇交流戦阪神4―9楽天(2019年6月19日甲子園)連夜の敗戦投手となった阪神の守屋功輝は眠れぬ夜を過ごしているだろうか。前夜(18日)は故郷の倉敷で同点の8回表に登板して決勝点を失った。この夜(19日)は延長10回表に登板し、四球、バスターエンドランの安打、四球と1死も奪えず無死満塁を招いて降板し2019/06/20スポーツニッポン詳しく見る
2019/06/19
【内田雅也の追球】邪飛が犠飛となった理由――阪神が失った決勝点
◇交流戦阪神3―5楽天(2019年6月18日倉敷)阪神の敗戦につながる決勝点は犠飛、それも邪飛だった。3―3同点の8回表1死二、三塁。楽天・ウィーラーの右翼線への飛球を糸井嘉男はファウル地域で捕り、三塁走者の生還を許した。捕ればタッチアップの三塁走者を本塁送球で刺すのは絶望的な深い飛球だった。こうし2019/06/19スポーツニッポン詳しく見る
2019/03/29
阪神・矢野監督が言う「楽しむ」の意味――負けを受けいれる精神
【内田雅也の広角追球】阪神監督・矢野燿大(50)は開幕前日(28日)の会見で「楽しむ」「楽しみ」と繰り返した。選手たちを集めてのミーティングでも「楽しもう」と話したようだ。今季の阪神のテーマ――課題と言ってもいい――は、選手、チームがいかにシーズンを“楽しめるか”にかかっている。「自己啓発の父」と呼2019/03/29スポーツニッポン詳しく見る
2019/03/16
内田広角追球(96)― 富岡西「ノーサイン野球」で考えた「高校野球」と「監督」(上)
【内田雅也の広角追球】野球の監督は試合中、なぜ選手と同じユニホームを着ているのだろう。バスケットボールやサッカーではスーツ姿でベンチにいる。ラグビーでは選手とコミュニケーションもとれないスタンドに座っている。野球の七不思議の一つである。この根源的な問題をあらためて考えるようになったのは、今春の第912019/03/16スポーツニッポン詳しく見る
2019/03/06
阪神は「神頼み」がお好き――開幕前2度の神社参拝
【内田雅也の広角追球】阪神タイガースは「神頼み」が好きな球団である。必勝や安全を祈願する開幕前の神社参拝も2度行う。今年で言えば、5日に西宮神社(西宮市社家町)に参った。27日には広田神社(西宮市大社町)に詣でる。西宮神社はえびす神社の総本社で「えべっさん」として親しまれている。毎年1月10日、福男2019/03/06スポーツニッポン詳しく見る
2019/01/14
早世の「王2世」阿部君の思い出
【内田雅也の広角追球】1月14日は「阿部君」の命日だ。早稲田実1年生だった阿部淳一選手である。1979(昭和54)年のその日、バイク事故で亡くなった。当日は日曜日。午後3時まで練習し、下校途中に会った友人のバイクを借りた。免許交付の数日前、つまり無免許だった。4時すぎ、東京・調布市内の通称・鶴川街道2019/01/14スポーツニッポン詳しく見る
2018/12/26
内田雅也が行く 猛虎の地<23>別府「日名子旅館」
◇「分裂」で消えた「阪神・荒巻」別府の繁華街、流川にあった日名子旅館には戦後1948(昭和23)年から49年にかけて、プロ野球関係者が相次いで訪れていた。目当ては「火の玉投手」と呼ばれた左腕・荒巻淳である。社長の岡本忠夫は野球好きで、監査役を務める建設会社、星野組で社会人チームを持っていた。日名子は2018/12/26スポーツニッポン詳しく見る
2018/12/25
内田雅也が行く 猛虎の地(22)大阪・なんば「ホテル一栄」
◇「黒幕」に失望、不眠の朝大阪ミナミの真ん中、なんば駅直結のホテル一栄は終戦の1945(昭和20)年に料亭旅館として創業した老舗である。忘れられない場所だ。平成と元号が変わった1989年秋。9月20日朝9時すぎ、次期監督として内定していたはずの一枝修平が「監督をやる自信はない」と就任拒否の会見を開い2018/12/25スポーツニッポン詳しく見る
2018/12/24
浮かび上がった借金153個の深い溝 平成データ集計のカレンダー 「数える」というすごみ
【内田雅也の広角追球】もちろん記録やデータとはそういうものだが、「数える」というすごみをあらためて思い知る。昨年も当欄で紹介したが、阪神ファンで、2005年から毎年ユニークな手製カレンダー(非売品)を作成する兵庫県芦屋市の会社員、大森正樹さん(51)の2019年度版を見て感じたことだ。新作のテーマは2018/12/24スポーツニッポン詳しく見る
2018/12/21
内田雅也が行く 猛虎の地<18>京都・城陽市「寺田球場」
◇球拾い少年の才能を発掘平安中(現龍谷大平安高)監督は毎日、グラウンドに練習を見に来て、球拾いをする少年にグラブをプレゼントし、声をかけた。「君は筋がいいから高等2年まで行け。そしたらオレが平安にスカウトしてやるから」監督は小笹清一。平安中OBで立命館大でも強打者でならした。少年は名を竹村正次といっ2018/12/21スポーツニッポン詳しく見る
2018/12/19
内田雅也が行く 猛虎の地(16)神戸港
◇ハワイ航路に咲いた「酒仙」の恋酒にまつわる逸話が多く、主戦ならぬ「酒仙」投手と呼ばれた西村幸生の一方の側面を書く。ロマンチックな恋と、家族への愛の物語だ。1936(昭和11)年6月9日、西村が主将を務める関大は2度目のハワイ遠征へ、神戸港から秩父丸に乗り込んだ。出発を前に西村は三重・宇治山田の実家2018/12/19スポーツニッポン詳しく見る
2018/12/18
内田雅也が行く 猛虎の地<15>西宮神社
◇優勝パレードに始まった参拝阪神が2リーグ制となって初優勝を果たした1962(昭和37)年の監督・藤本定義はなかなか信心深い人物だったようだ。当時、東京遠征中の宿舎だった本郷の「清水旅館」の主人の妻だった清水昌子から聞いた話を覚えている。「藤本監督は神頼みばかりしていました。後楽園球場でナイターの時2018/12/18スポーツニッポン詳しく見る
2018/12/09
内田雅也が行く 猛虎の地<8>阪神電車・武庫川駅の下
◇若虎・掛布が夢を描いた橋の下阪神電車・武庫川駅は川の上に駅がある。武庫川をまたぐように約200メートルの長いホームがあり、両端に駅舎がある珍しい構造をしている。この橋の下が若き掛布雅之の練習場所だった。橋脚の壁にボールを投げあて、バットを振り、河川敷を走った。ドラフト6位とはいえ事実上のテスト入団2018/12/09スポーツニッポン詳しく見る
2018/12/08
内田雅也が行く 猛虎の地<7>二河川河川敷
◇「ミスター」生んだ河原と工廠古く軍港でひらけた海軍の街、広島県呉市にはかつて「野球市」の異名があった。1872(明治5)年、米国人教師ホーレス・ウィルソンが第一番中学(今の東大)で初めて野球を伝えて以来、日本の野球は高等教育機関で学んだ教師らが各地方の学校で広めていった。だが、呉市では様相が異なっ2018/12/08スポーツニッポン詳しく見る
2018/12/01
内田雅也が行く 猛虎の地<1>神戸ベイシェラトンホテル&タワーズ
◇【山と港を望んでの熱弁「一度壊してでも」――金本氏への監督要請】神戸港内にある六甲アイランドは「海の手」と称される人工島だ。その中心部に建つ神戸ベイシェラトンホテル&タワーズが交渉場所だったと後に分かった。2015年10月1日、阪神球団社長(肩書は当時=以下同)・南信男、球団本部長・高野栄一が本紙タワーズ 中心部 交渉場所 優勝争い 六甲アイランド 内田雅也 南信男 和田豊 本紙評論家 球団本部長 監督 監督就任要請 監督要請 神戸ベイシェラトンホテル 神戸港内 金本 金本知憲 阪神球団社長 高野栄一2018/12/01スポーツニッポン詳しく見る
2018/10/13
痛恨の「立ち話」会見――「退任」阪神・金本監督の傷心
【内田雅也の広角追球】今では忘れられ、知らない人も増えたが、「10・12」は「阪神の一番長い日」と呼ばれている。1987(昭和62)年10月12日、監督・吉田義男の留任か解任かを巡って大阪・梅田(当時)の阪神電鉄本社で開かれた球団役員会は午前9時半から午後5時半まで延々8時間に及んだ。2年前の85年2018/10/13スポーツニッポン詳しく見る
2018/08/15
「白球飛び交うところに平和あり」――100回大会の8月15日に思う
【内田雅也の広角追球~高校野球100回大会余話】100回大会の8月15日に沖縄代表・興南の試合があるというのも何かの因縁だろうか。我喜屋優監督は50年前、1968(昭和43)年の50回大会に興南の主将、4番打者として出場。沖縄勢として初めてベスト4に進出、旋風を巻き起こした。終戦の日の正午は西宮市の2018/08/15スポーツニッポン詳しく見る
2018/07/23
「高校野球は世界遺産」の原点――和歌山中ボールボーイだった佐山和夫さん
【内田雅也の広角追球~高校野球100回大会余話】和中(わちゅう)と呼ばれた和歌山中(現桐蔭高)のグラウンドには観覧用のスタンドがある。全国中等学校優勝野球大会(今の夏の甲子園大会)で史上初の連覇を達成した1922(大正11)年11月完成。同年12月、皇太子殿下(後の昭和天皇)が来校し、初めて野球を台2018/07/23スポーツニッポン詳しく見る
2018/06/22
キューピーの謎――GHQが進めた「野球民主主義」
【内田雅也の広角追球~高校野球100回大会余話】京都二中(現・鳥羽高)三塁手として戦後復活の全国大会に出場した黒田脩さん(88=西宮市)は今もその小さなメダルを大切に保管している。1946(昭和21)年8月、西宮球場で開かれた第28回全国中等学校優勝野球大会(今の全国高校野球選手権大会)の参加章だ。2018/06/22スポーツニッポン詳しく見る
2018/06/12
“延長40回”から“幻の甲子園”へ――関口清治の悔恨と歓喜
【内田雅也の広角追球~高校野球100回大会余話】関口清治は温厚な人柄で知られた。近鉄担当のころ、元監督のOBとして何度か接したことがある。1981(昭和56)年10月、勇退する西本幸雄が「これまでまじめにやってきたんだ。一度くらい日の当たるところでやるべきやろう」と打撃コーチだった関口を後任に指名し2018/06/12スポーツニッポン詳しく見る
2018/05/22
大会直前、突然の中止――優勝旗と眠った海草中
【内田雅也の広角追球~高校野球100回大会余話】あのころ、選手たちは優勝旗の房をちぎってお守りにしたんや――なかには優勝旗を抱いて眠った者もいる――。死んだ父から何度も聞かされた逸話である。父は和歌山・向陽高を卒業していた。おそらく、同校に戦前から長く伝わる伝説なのだろう。野球記者となって知ったこと2018/05/22スポーツニッポン詳しく見る
2018/04/10
「かるみ」の境地を目指して――悩ましい「力み」の考察
【内田雅也の広角追球】阪神・藤浪晋太郎の悩める現状を象徴するような乱調だった。今季2度目の登板だった本拠地開幕戦、6日の中日戦(京セラ)で、四球、悪送球、暴投、押し出し……と乱れに乱れた。降板後、その原因を藤浪は「力み」だと告白している。「抑えようとする気持ちが力みに変わってしまっていた」確かに、見2018/04/10スポーツニッポン詳しく見る
2018/03/22
応援歌としてのセンバツ行進曲
【内田雅也の広角追球】作家・重松清の小説に『三月行進曲』がある。少年野球の監督を務める東京のサラリーマンが卒業・卒団する6年生の3選手を選抜高校野球の開会式に連れていく。短編集『小さき者へ』(新潮文庫)の最終話だ。才能十分だが、わがままなエース、決勝戦で逆転負けのエラーをした遊撃手、4番捕手の主将は2018/03/22スポーツニッポン詳しく見る
2018/01/04
元旦の甲子園にいた少年――希望の初日の出
【内田雅也の広角追球】今年もまた、美しく、荘厳な光を拝んだ。甲子園球場で初日の出を撮影するようになって5年になる。当初はごく個人的な思いから、夜明け前、自宅から約3キロを歩いていた。3年前からスポニチ・アネックス上に写真と短い原稿をアップするようにしている。今年は前日の大みそかに降った雨の名残があっ2018/01/04スポーツニッポン詳しく見る
2017/12/28
昔も今も――「申告敬遠」に反対する理由
【内田雅也の広角追球】プロ野球が来季から採用する「投手が投げない四球」、いわゆる「申告敬遠」はかなり昔から論議されていた。アメリカ野球殿堂(ニューヨーク州クーパーズタウン)公式サイトに説明がある。1956年3月、大リーグ、アメリカン・リーグのオープン戦で試験的に導入された。当時、大リーグでも長引く試2017/12/28スポーツニッポン詳しく見る
2017/11/28
女子に求める「逆境力」――世界最強マドンナジャパンの選手像
【内田雅也の広角追球】侍ジャパン女子代表(マドンナ・ジャパン)の橘田(きった)恵監督(34)は求める選手像について「ここに来ている選手たちは基本はある程度できているとみていますので」と前置きして答えた。「緊張している中で、どれだけのパフォーマンスを発揮できるか。ワールドカップでも一度失敗するとダメに2017/11/28スポーツニッポン詳しく見る
2017/09/30
事前面談の意味――清宮と清原のドラフト狂騒曲
【内田雅也の広角追球】異例の面談と聞いて思い出す光景がある。丘陵に広がる秋空と赤い夕日である。入社1年目の1985年(昭和60)秋、駆け出しの野球記者として毎日のように大阪・富田林市のPL学園に通った。清原和博選手に対するプロ12球団の事前面談が行われていた。ドラフト会議(10月26日)の超目玉、清2017/09/30スポーツニッポン詳しく見る
2017/08/16
「終戦」のサイレンが鳴った日――甲子園球場初の黙とう試合
【内田雅也の広角追球】8月15日は、いつも夏雲に青空が広がり、せみ時雨の下にいたような記憶がある。実際、1945(昭和20)年の正午に玉音放送が流れた光景が――その後の映像や写真で――目に焼き付いているからだろうか。毎年、目を閉じ、先の戦争で亡くなった方々の冥福を祈る。甲子園球場では、高校野球の試合2017/08/16スポーツニッポン詳しく見る
2017/06/22
頼もしき「大食漢」――表彰すべき最多投球回
【内田雅也の広角追球】「イニング・イーター」は文字通り、「イニング(回)を食べる人」という意味だ。主に先発で長いイニングを投げる投手を指していう。アメリカの野球記者は「イニング・イーターの食欲が減退することはない」などと使い、そのタフネスぶりをたたえる。日々、同行取材する阪神にプロ野球有数のイニング2017/06/22スポーツニッポン詳しく見る
2017/03/17
「教育者」としての高校野球監督
【内田雅也の広角追球】ある高校野球の監督が「私たちにとっては注目すべき改正です」と話していた。私学で、学校に籍がない外部指導者である。「これで身分がはっきりする。身が引き締まる」とも話した。中学、高校の部活動について、文部科学省が4月から外部人材を単独で部活動の指導、引率できる「部活動指導員」(仮称2017/03/17スポーツニッポン詳しく見る
2017/02/22
江夏が思う「青春」の苦悩 捕手の攻守両立は難しい
【内田雅也の追球】江夏豊が阪神キャンプ地の沖縄・宜野座にやってきた。17日以来2度目の訪問。テレビ局の取材で監督・金本知憲と対談を行っていた。ドーム内での収録後、「聞いていたか?」と問われた。立ち入り禁止区域で遠くて聞こえなかった。「そうか」と対談の感想を口にした。「監督も選手を絞り込んでいかないと2017/02/22スポーツニッポン詳しく見る
2017/02/21
ほめるか、叱るか――「怒り」のマネジメント
【内田雅也の広角追球】中学3年間、社会科を学んだ女性教師がある日、黒板に「喜怒哀楽」と大書したのを覚えている。「大人に成長していくうえで、この人間の感情のなか、最もコントロールすべきものはどれでしょう?内田君!」僕は「哀」と答えた。「悲しい時でも涙など流さず辛抱する。それが大人の姿勢だと思います」先2017/02/21スポーツニッポン詳しく見る
2017/02/08
21世紀枠、そしてセンバツの意義(下)
【内田雅也の広角追球】戦争中、5年間中断されていた中等野球(今の高校野球)甲子園大会は1946年(昭和21)夏、西宮球場で復活した。甲子園球場は進駐軍に接収されていた。選抜も復活に向けて動いていた47年3月、文部省から「大会中止」の通達が届いた。発端はCIE(GHQ民間情報教育局)が学校体育についてアマチュア精神順守 シーズン制 世紀枠 中等学校野球連盟 中等野球 中野連 佐伯達夫 内田雅也 大会中止 学校体育 学業重視 日本高野 校内試合重視 甲子園大会 甲子園球場 西宮球場 高校野球 GHQ民間情報教育局2017/02/08スポーツニッポン詳しく見る
2017/01/08
元日 甲子園の祈りと誓い
【内田雅也の広角追球】甲子園球場で初日の出を拝むようになって4年目になる。今年も夜明け前に訪ねた。まだ薄暗く、正面玄関前は「阪神甲子園球場」の真白な照明に照らされていた。広場に1羽、白い羽に、ところどころ黒が交じったハトがいた。酉(とり)年の白と黒である。勝負をつかさどる鳥なのかもしれない。午前7時2017/01/08スポーツニッポン詳しく見る
2016/12/18
プロ野球を支え続けた父子
【内田雅也の広角追球】澄みわたる青空に浮かんだ雲が笑っていた。旅立った故人の表情ではなかったか。その日の京都は穏やかだった。12月11日、建仁寺で小島昭男さん(10月26日、90歳で他界)の四十九日法要、納骨があった。お斎(とぎ)の席では位牌(いはい)と遺影にビールが供えられた。「ビールこそ人生なり2016/12/18スポーツニッポン詳しく見る
2016/11/10
「理不尽」にも意味がある
【内田雅也の広角追球】阪神が秋季キャンプを張る高知・安芸市営球場を訪れた。サブグラウンド脇に建つ小屋には長年チームの世話をするおばちゃんがいる。右翼後方でキラキラ輝く太平洋と同様に、もう何年も変わらぬ光景だ。山を切り開き、球場が造成された1964年(昭和39)、作業を手伝った。以来52年にわたり、裏2016/11/10スポーツニッポン詳しく見る
2016/10/24
【大野豊の大分析 走塁編】初回に菊池憤死も…広島 失敗恐れない姿勢浸透
連勝した。大野豊氏(スポニチ本紙評論家)は、失敗を恐れぬ積極果敢な走塁が得点を生み出したと分析する。広島と同じく機動力やつながりが持ち味の日本ハム打線だが、広島バッテリーの内角を意識させる投球に精彩を欠いた。(構成・内田雅也)攻撃的と言える広島の積極果敢な走塁が得点を生み出した。2回の先制点は、一塁2016/10/24スポーツニッポン詳しく見る
2016/09/30
【内田雅也の追球】阪急阪神HD発足から10年 これからも阪神タイガース
阪神が2006年11月14日のオーナー会議に提出した文書が今も日本野球機構(NPB)に保管されている。「誓約書」と題された文書には、阪急ホールディングス(HD)社長・角和夫、阪神電鉄社長・坂井信也、阪神球団オーナー・宮崎恒彰(肩書はいずれも当時)の署名・捺印がある。「将来的にタイガースを保有し……第わが国プロ野球 オーナー会議 タイガース 内田雅也 坂井信也 宮崎恒彰 文書 日本野球機構 社長 角和夫 誓約書 阪急ホールディングス 阪急阪神ホールディングス 阪急阪神HD発足 阪神タイガース阪神 阪神球団オーナー 阪神電鉄社長 HD2016/09/30スポーツニッポン詳しく見る
2016/09/28
【内田雅也の追球】鳥谷、見事なまでのトンネル 不屈の安打で取り返す
◇セ・リーグ阪神4―3ヤクルト(2016年9月27日甲子園)何度も書くが、野球は失敗のスポーツであり、ミスは付き物である。そのためだろう。「ミスをした方が負け」という言い方がある。これは特に日本野球で根強い考え方である。打ち勝つ野球を目指すアメリカと、守り抜く精神を鍛える日本。国民性が出ている。ただ2016/09/28スポーツニッポン詳しく見る
2016/09/16
【内田雅也の追球】手放した魔力と奇跡 月も球場も味方にするプレーを
◇セ・リーグ阪神6-8DeNA(2016年9月15日甲子園)阪神はミスが失点を呼ぶ自滅だった。今季開幕から続く悪循環を断ち切れないでいる。「本当に多いな」と敗戦後、ヘッドコーチ・高代延博が言った。この夜の敗戦投手ランディ・メッセンジャーは失点7だが自責点は2。長くリーグ最多のチーム非自責点(つまり失2016/09/16スポーツニッポン詳しく見る
2016/09/09
【内田雅也の追球】優勝目前の広島を思う 阪神も虎党の“希望の源”に
◇セ・リーグ阪神1―3巨人(2016年9月8日甲子園)記者席に大入り袋を配る女性球場職員が「ちょっとだけ久しぶりですけど」と笑った。この夜の甲子園は2試合連続で途絶えていた満員御礼(観衆3万7千人以上)をクリアしていた。観衆発表は3万8473人。なかには広島のレプリカユニホームを着た人の姿も見かけた2016/09/09スポーツニッポン詳しく見る
2016/09/06
刑務所閉鎖後も引き継がれる「若林杯」の精神
【内田雅也の広角追球】現存する国内最古の刑務所、奈良少年刑務所が本年度末(2017年3月31日)で閉鎖となる。赤れんが造りの重厚な建物は保存される。1908年(明治41年)に建築された「明治の五大監獄」の一つ。設計した旧司法省営繕課長の故・山下啓次郎氏の孫でピアニストの山下洋輔さんを会長とする市民団2016/09/06スポーツニッポン詳しく見る
2016/09/05
【内田雅也の追球】阪神・北條 “出発の月”飾る好走
◇セ・リーグ阪神3―1DeNA(2016年9月4日甲子園)阪神8回裏の逆転を引き寄せたのは1、2番の好走塁である。1死から北條史也、上本博紀の連打で二、三塁をつくった快走である。上本の中堅右への安打で一塁走者・北條は二塁を蹴って三塁を奪った。8―6―5と中継の三塁送球は間一髪セーフ。この間に打者走者2016/09/05スポーツニッポン詳しく見る
2016/09/03
【内田雅也の追球】阪神「あと一打」の課題 ソロ2発も今度は単打が…
◇セ・リーグ阪神3―5DeNA(2016年9月2日甲子園)大リーグを代表する大打者、ベーブ・ルースとタイ・カッブは対照的だった。象徴的なタイトルはルースの本塁打王12度に、カッブの首位打者12度で、ともに今も大リーグ記録である。ルースが9歳下だが、1920年代は重なっている。ルースはカッブに向け「あ2016/09/03スポーツニッポン詳しく見る
2016/08/27
【内田雅也の追球】阪神 0―4から明暗を分けた次の1点
◇セ・リーグ阪神3―5ヤクルト(2016年8月26日甲子園)日本サッカー協会会長など要職を歴任した岡野俊一郎が「サッカーの2点差は危ない」と語っていたのを覚えている。まだJリーグなどなかった1977年、日本代表戦のテレビ解説だった。「1点ずつしか得点できないサッカーで2点はすぐに追いつかれない安全圏2016/08/27スポーツニッポン詳しく見る
2016/08/11
【内田雅也の追球】阪神・能見 味方のミスを帳消しにする力投
◇セ・リーグ阪神2―1広島(2016年8月10日マツダ)昨年9月に他界した当時阪神ゼネラルマネジャー(GM)・中村勝広は酔えば、電話魔になった。先輩の江夏豊も「勝から突然電話があってよ。“あの時はすみません”って、何度も昔のエラーの話をするんだよ」と笑っていた。中村が現役時代、二塁手で失策し、試合後2016/08/11スポーツニッポン詳しく見る
2016/08/01
【内田雅也の追球】阪神 苦手ジョーダン攻略への“知恵と度胸”
◇セ・リーグ阪神6―1中日(2016年7月31日甲子園)夕方、甲子園球場周辺には雷鳴がとどろいていた。「ゲリラ豪雨が来る」と球場や球団職員は構えていた。雨の匂(にお)いが立ち込めていた。だが雨雲はほんの数百メートル先を通過したそうだ。「紙一重でしたよ」と阪神園芸整備課長の金沢健児が胸をなでおろした。2016/08/01スポーツニッポン詳しく見る
2016/07/30
【内田雅也の追球】藤浪―原口コンビの成長がジレンマ解消への希望
◇セ・リーグ阪神1―3中日(2016年7月29日甲子園)「ヤマアラシのジレンマ」という寓話(ぐうわ)がある。寒空の下、2匹のヤマアラシは身を寄せ合って温め合いたいのだが、互いの針が刺さるので近づけない。学生時代、心理学の講義で聴いた。連勝が止まった阪神はこのジレンマに陥っていた。エースと望む藤浪晋太2016/07/30スポーツニッポン詳しく見る
2016/07/29
【内田雅也の追球】阪神・原口 謙虚さが生んだ2ストライク後の一打
◇セ・リーグ阪神10―5ヤクルト(2016年7月28日甲子園)打者は2ストライクと追い込まれると不利になる。3割打者でも打率2割前半か1割台まで落ち込むのが普通だ。ただし、追い込まれたことで、打者心理に微妙な変化をもたらし、好結果が出ることもある。この夜は2ストライク後の快打が焦点だった。阪神4回裏2016/07/29スポーツニッポン詳しく見る
2016/07/28
【内田雅也の追球】阪神 ちょうど70年前“新聞紙着火事件”で打線に火
◇セ・リーグ阪神―ヤクルト(2016年7月27日甲子園)阪神のチーム連続安打はプロ野球初年度1936年の「10打数」、戦後再開46年の「9打者」がある。この夜、4回裏の10打数連続安打は80年ぶりタイ記録となる。46年の方は、猛打タイガースの代名詞「ダイナマイト打線」の異名がつけられた年でもあった。2016/07/28スポーツニッポン詳しく見る
2016/07/21
阪神よ、不運を不運と思うな 苦しい時間が君を成長させる
7月20日甲子園)【内田雅也の追球】阪神の敗因は依然として決定打を欠く打線である。5回まで3併殺8残塁と前半の拙攻が響いたのは明らかである。敗戦後、打撃コーチ・片岡篤史も「いつも言っているが」と前置きし、「前半に1本出ていれば……というところで出ないと、こういう展開になる」と話した。なかでも3―5回2016/07/21スポーツニッポン詳しく見る
2016/07/20
「土守」の激励 北條の失策は甲子園からのメッセージ
7月19日甲子園)【内田雅也の追球】そのゴロはほんのわずか、予測より弾んだかもしれない。ただし不規則バウンドと言うほどの変化ではなかった。微妙な打球で、公式記録員も判定を迷ったのだろう。やや時間があり、電光板に「E」のランプが灯(とも)った。失策である。2回表2死一、二塁で巨人・内海哲也が放った三ゴ2016/07/20スポーツニッポン詳しく見る
2016/07/08
【内田雅也の追球】阪神・江越 機運巻き起こした、ひたむきな走塁
◇セ・リーグ阪神6―0巨人(2016年7月7日東京D)阪神30試合ぶりとなる大量6点には力走が絡んでいた。むろん主軸が働いた結果だが、機運を巻き起こしたのは懸命に走った走者である。1回表は連続四球の1死一、二塁から4番・福留孝介が左中間二塁打を放った。一塁から長駆生還した江越大賀の力走があった。ライ2016/07/08スポーツニッポン詳しく見る
2016/06/30
【内田雅也の追球】アジサイも“超変革”も土作りが大切
雨に誘われ、甲子園球場にほど近い網引(あびき)公園を訪ねた。「アジサイの名所」として知られる。西宮市が1986年に1000本を植え、育ててきた。色鮮やかな花々が雨に光っていた。アジサイは土壌によって花の色が変わる。一般に酸性ならば青、アルカリ性ならば赤となる。花を咲かせるには、やはり土が大切なのであ2016/06/30スポーツニッポン詳しく見る
2016/06/29
【内田雅也の追球】6回突如崩れたメッセ 0・001秒の誤差
◇セ・リーグ阪神5―3DeNA(2016年6月28日甲子園)好投していた投手が突然乱れることがある。前触れがあったわけではなく、突如として崩れる。わずかな乱れが大きな失点につながる。あの変調は何なのだろう。この夜の阪神先発ランディ・メッセンジャーである。5回まで1人の走者も許さず、9三振を奪っていた2016/06/29スポーツニッポン詳しく見る
2016/06/27
【内田雅也の追球】阪神 9回裏の異例「敬遠策」の意味と執念
◇セ・リーグ阪神3―4広島(2016年6月26日マツダ)息を詰めて見守る中、思わず「えっ!」と声が出た。阪神の捕手・原口文仁が立ち上がったのだ。敬遠だ。1点リードの9回裏、1死一、三塁(二、三塁ではない)、打者・新井貴浩のカウントが2ボールとなって、阪神ベンチは敬遠、満塁策を指示したのだった。逆転サ2016/06/27スポーツニッポン詳しく見る
2016/06/18
【内田雅也の追球】阪神を逆転勝利に導いた“熱い心”と“冷静な頭”
◇交流戦阪神3―2ソフトバンク(2016年6月17日甲子園)今は阪神オーナー付シニアアドバイザー(SA)の和田豊は打撃コーチ、そして監督として「ウォーム・ハート、アンド、クール・ヘッド」(心は熱く、頭は冷静に)という言葉をよく使った。元は経済学者アルフレッド・マーシャルの「クール・ヘッド、バット、ウ2016/06/18スポーツニッポン詳しく見る
2016/06/15
能見 見せたベテラン「受け」の手筋 33球を費やして無失点
6月14日甲子園)【内田雅也の追球】将棋でピンチの時に守ったり、踏ん張ったりするのを「受け」や「しのぎ」という。ここにも手筋がある。長年積み重ねてきた指し手で定着した方法である。受けやしのぎの手筋を多く持つ棋士は負けづらい。当代一のプロ棋士、羽生善治がピンチでのベテランの強みについて述べている。その2016/06/15スポーツニッポン詳しく見る
2016/05/28
岩貞の快投引きだした菅野 阪神―巨人80年の歴史で新たな好敵手
5月27日東京D)【内田雅也の追球】昭和30年代のパ・リーグで覇を競った南海(現ソフトバンク)の杉浦忠と西鉄(現西武)の稲尾和久はライバル関係にあった。投げ合った試合は通算24勝24敗の五分だった、と杉浦が著書『僕の愛した野球』(海鳥社)で明かしている。杉浦が本紙評論家を務めた1990年代、その対抗2016/05/28スポーツニッポン詳しく見る