沖縄勢
2018/08/15
「白球飛び交うところに平和あり」――100回大会の8月15日に思う
50年前、1968(昭和43)年の50回大会に興南の主将、4番打者として出場。沖縄勢として初めてベスト4に進出、旋風を巻き起こした。終戦の日の正午は西宮市の浜甲子園スポーツセンターで練習中だった。正午になると整列し、黙とうをささげた。当時の本紙に<戦後23年間、父や母が叫び続けている悲願の本土復帰を2018/08/15スポーツニッポン詳しく見る終戦の日に沖縄の星・安仁屋氏がマウンドへ レジェンド始球式
屋宗八氏がマウンドに上がった。安仁屋氏は1962年夏、沖縄のエースとして南九州大会を勝ち抜き、沖縄勢として初めて自力で甲子園出場を果たした。マウンドに立ち帽子をとって大観衆の前に頭を下げて捕手と向き合った。73歳とは思えぬダイナミックなフォームで投じた一球は外角高めのノーバウンド投球。歴史を刻む1球2018/08/15デイリースポーツ詳しく見る
2018/01/24
荒木氏、沖縄・首里へ 甲子園の土を持ち帰れないナインの悲劇
は、1958年の第40回大会に沖縄から初めて出場した首里のメンバーを那覇市に訪ねた。渡航証明書(パスポートのようなもの)を手に、夢の舞台へ。ナインは甲子園の土を持ち帰ったが、当時の法律によって那覇港で廃棄処分された。60年前に起きた“悲劇”とは-。(構成・松尾雅博)沖縄勢は、戦前は南九州大会、1952018/01/24サンケイスポーツ詳しく見る