明治政府
2018/12/20
【男が泣く浅田次郎・時代劇の神髄】過去にとらわれた2人の男の機微が絶妙! 「柘榴坂の仇討」
)の仇を討てと藩命を受け、維新後も仇を追い続ける。もうひとりは直吉と名を変えた佐橋十兵衛(阿部寛)。桜田門外で襲撃に加わった18人の最後の生き残りで、俥引きとなり、長屋で独り暮らす。敵同士のふたりは、江戸から東京と名前を変えた町でめぐり会う。くしくもその日は、明治政府が「仇討禁止令」を交付した当日。2018/12/20夕刊フジ詳しく見る
2018/11/20
西郷どん“生きてた伝説”あったでごわす!? 自刃の翌年発行の雑誌に「中国脱出・インド亡命」と掲載
った。この後、西郷は西南戦争のリーダーに担がれ、1877(明治10)年、城山で自刃する。享年51。だが、翌年発行の雑誌『近事評論』には、西郷の「中国脱出・インド亡命」説が載っていた。近事評論は、元肥後熊本藩士で、明治政府の大蔵省や司法省で官吏を務めた林正明が、自由主義思想の啓蒙(けいもう)を目的とし2018/11/20夕刊フジ詳しく見る
2018/11/18
瑛太「西郷どん」大久保利通として生きた1年、苦悩の日々乗り越え「底力ついたかな」
として幕末から明治の激動期を駆け抜けた。18日放送の第43回「さらば、東京」では、明治政府で対立を深めた2人が袂を分かち、互いの道を歩み始めることに…。先月クランクアップした瑛太が撮影終了前にインタビューに応じ、17年7月から1年3カ月に及んだ撮影を振り返った。◆大久保は「変化の振り幅大きい人物」演2018/11/18スポーツニッポン詳しく見る
2018/11/13
森友問題の反省ナシ…昭恵夫人が公然と野党批判の“妄言”
像のお披露目式。島は明治政府の開拓判官として北海道札幌市の原型をつくった人物で、その功績が称えられて銅像が造られたという。超厳戒…昭恵夫人“ド派手パーティー”はトップシークレット問題となったのは、銅像の除幕式の後で行われた懇親会。安倍首相の妻・昭恵夫人が挨拶し、野党批判を展開したのだ。会に出席した国2018/11/13日刊ゲンダイ詳しく見る
2018/07/18
【明治維新に学ぶ】西郷隆盛が教える「上に立つ者の覚悟」 私学生らの反乱で挙兵へ
」は最大の脅威であり、これを食い止めるためには、何としても朝鮮に自立して近代化してもらう必要があった。そのため明治政府は、李氏朝鮮に開国を促すのだが、交渉は進まず、日本国内には武力で開国を迫る「征韓論」が持ち上がった。征韓論を唱えたのは、西郷隆盛や板垣退助らで、これに異を唱えて反対したのが、岩倉具視2018/07/18夕刊フジ詳しく見る