平野悠
2019/06/07
【時代を変えたロックサムライ 新宿ロフトを生んだ男・平野悠】世界放浪の旅から帰還し「ロフトプラスワン」の立ち上げへ!
★(5)1984年、平野悠は6つのライブハウスを「新宿ロフト」だけを残し、のれん分けすると、日本を離れ世界放浪の旅に出た。船でウラジオストックへ渡り、シベリア鉄道でモスクワから東欧圏へ。「ポーランドで民主化運動を進めていた連帯のワレサ議長に参加させてくれって言ったけど断られたよ(笑)」日本語を教えた2019/06/07夕刊フジ詳しく見る
2019/06/06
【時代を変えたロックサムライ 新宿ロフトを生んだ男・平野悠】バブル期、マネーゲームと化した音楽界に失望… 「俺の役目は終わったよ。ロフトを解散する」
トさせた1976年、平野悠は新宿・小滝橋通りに「新宿ロフト」をオープンする。300人収容可能な地下のホールには当時日本では最大のスピーカーをアメリカから輸入し、大きな話題になった。意表をつくように設置された潜水艦の上で『勝手にシンドバッド』を歌うサザンオールスターズ。その姿が『ザ・ベストテン』で生中2019/06/06夕刊フジ詳しく見る
2019/06/05
【時代を変えたロックサムライ 新宿ロフトを生んだ男・平野悠】人の流れすら変えた「下北沢ロフト」 第1回下北沢音楽祭では「井の頭線徐行」の都市伝説も
フト」をオープンした平野悠。田中角栄内閣が総辞職し、ベトナム戦争が終結した74~75年は日本のロックシーンが一斉に花開いた時期でもあった。ロフトに刺激され、都内には吉祥寺の曼荼羅、高円寺の次郎吉などわずか1年でライブを提供する空間が二十数件に増えた。荻窪ロフトのオープニングを飾った細野晴臣、鈴木茂らベトナム戦争 ロックサムライ ロックシーン ロフト 下北沢ロフト 下北沢音楽祭 井の頭線徐行 出演バンド 平野悠 新宿ロフト 田中角栄内閣 細野晴臣 荻窪ロフト 都市伝説 鈴木茂らティン・パン・アレー 音量制限2019/06/05夕刊フジ詳しく見る
2019/06/03
【時代を変えたロックサムライ 新宿ロフトを生んだ男・平野悠】山下達郎、ユーミン、サザンも巣立った“殿堂”「西荻ロフト」73年オープン 山下達郎「私たちは実に幸運だった」
影響を与えた革命児、平野悠。その波乱に満ちた足跡を追う。◇今から40年も昔、ライブハウスという言葉すらなかった時代、来たるべくブームの火付け役になったのは妻と子供を抱え、背水の陣で起業した若者だった。1971年、借金をして千歳烏山のはずれにキャパ15人の小さな店舗を借り、手持ちの100枚足らずのレコ2019/06/03夕刊フジ詳しく見る