【天才落語家・立川談志の最期】〈3〉期せずして弟子への“遺言”となった四文字
意識がなくなり息を引き取るまでの約3週間、そして懸命に介護した8か月間を長女・松岡ゆみこは「神様のくれた時間」と称した。最愛の父との別れを前に、心の準備をする貴重な時間だった。「坊主は呼ぶな」「ディキシージャズの『ザッツ・ア・プレンティー』を流せ」「戒名は“立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさ
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【天才落語家・立川談志の最期】〈2〉弟子に伝えるべきか 伏せられた病状
談志は、自身の生きざまを世間にさらけ出していた。1997年に食道がんの手術で退院する際にたばこを吸ってみせるなど、批判があっても受けて立ち、自分の“言葉”で主張してきた。談志は気管切開で声を失い、筆談で意思を伝えるようになった。この状況を公表するか家族は悩んだ。長男で所属事務所社長の松岡慎太郎は「何
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【天才落語家・立川談志の最期】〈1〉気管切開で声を失う 手術直前、最後にやった落語は…
落語家・立川談志は平成23(2011)年11月21日に喉頭がんのため75歳で亡くなった。落語家初の参院議員を務め、落語協会を脱退し立川流を創設、家元になるなど破天荒な生き方を貫きカリスマ的な人気を誇った天才の死は親しい知人や弟子にも伏せられ密葬となった。同年3月に気管切開をして声を失った談志の闘病を
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