坂本勉

坂本勉

2017/09/15

  • 【二十歳のころ 坂本勉氏(4)】「坂本はどこだ」船内でファンが部屋探し

    日大卒業後の進路は、就職を勧める人も多かったですが、競輪学校に入学しました。同期のほとんどは高卒の18歳。メダリストなんて眼中にない、やんちゃなヤツが多かったから、いい意味で緊張感がありましたね。学校の成績は一番で、川崎競輪場でファンにも公開された卒業記念レースも1着でした。1986年の5月、地元の
    2017/09/15サンケイスポーツ
    詳しく見る

2017/09/14

  • 【二十歳のころ 坂本勉氏(3)】「やっと終わった」バースデー銅

    1984年の7月、ロサンゼルスに入りました。前年の世界選手権で上々の成績だったので、1000メートルのタイムトライアルでもいい勝負ができると思っていたんですが完敗(13位)。日本の競技場はきれいで走りやすいんですが、海外はデコボコなところがあったり、走路が悪い。ロスも走りやすくはなかったですね。スプ
    2017/09/14サンケイスポーツ
    詳しく見る

2017/09/13

  • 【二十歳のころ 坂本勉氏(2)】“絶対に五輪へ”全力でつかんだ世界6位

    日大自転車部の合宿所は世田谷の八幡山にありました。上下関係が厳しい時代でしたからね。1年生は40~50人分の食事を作って、掃除、洗濯をしなければならない。2、3時間しか寝ていられないし、先輩はアラを探して言いがかりをつけてくる。風呂も作法や順番があるから面倒くさかった。夏場は風呂には入らず、屋上にあ
    2017/09/13サンケイスポーツ
    詳しく見る

2017/09/12

2016/07/23