甲子園剛球列伝
2019/06/25
【甲子園剛球列伝】東洋大姫路・松本正志、直球一本で勝負する「江夏二世」 バンビファン泣かせて全国制覇
★(4)高校野球ファンは“判官びいき”だ。強大な力に立ち向かう選手(チーム)に声援を送り、相手は悪役にされる。1977年(昭和52年)夏の甲子園。かわいいマスクと細い体で「バンビ」と呼ばれアイドルになった1年生投手がいた。東邦の坂本佳一。決勝戦まで勝ち上がったが、3年生中心のコワモテ軍団、東洋大姫路2019/06/25夕刊フジ詳しく見る
2019/06/22
【甲子園剛球列伝】“スピードガンの申し子”星稜・小松辰雄、手が痛すぎて捕手が次々といなくなった…
★(3)日本球界にスピードガンが登場したのは、1976(昭和51)年といわれる。テレビ中継で初めて表示されたのは79(同54)年。高校野球の甲子園大会でビジョンに表示されたのは2004(平成16)年のセンバツからだ。その76年、夏の甲子園を星稜の2年生右腕・小松辰雄の剛速球が席巻した。小松はプロ野球2019/06/22夕刊フジ詳しく見る
2019/06/19
【甲子園剛球列伝】佐賀工・江口孝義、優勝候補を破った速球が次戦で影をひそめた理由
★(1)大船渡高(岩手)の佐々木朗希投手(3年)が日本高校野球史上最速の163キロをマークし、「令和の怪物」出現と騒がれているが、昭和・平成の時代にも、球界を震撼させた剛球投手はいた。高校野球を約40年取材してきたスポーツジャーナリストの高野想氏が、ある者はその後プロで活躍し、ある者は一瞬の輝きを放2019/06/19夕刊フジ詳しく見る