ソ連
2019/06/04
【世紀をつなぐ提言】64年大会女子バレー金・篠崎洋子<上>一本をあきらめない「鬼の大松」の教え…
決定戦。日本は宿敵・ソ連から2セットを先取し、第3セットも14―9(当時はサイドアウトありの15点先取制)と金メダルポイントを迎えた。だが、ソ連も粘り14―13と詰め寄られた。ベンチにいた最年少19歳の田村(旧姓・篠崎)洋子は「ちょっと嫌でしたね。ソ連が息を吹き返してくるんじゃないかと。絶対にあのセ2019/06/04スポーツ報知詳しく見る
2019/02/04
【日本は誰と戦ったのか】ルーズベルト政権に入り込んだ「ソ連スパイ」
アジアでは、中国共産党が中国を支配し、中国にある米国企業の財産は没収され、キリスト教会は迫害され始める。ヨーロッパでも、バルト三国やポーランドをはじめとする中欧諸国が次々と、ヨシフ・スターリン率いるソ連の影響下に入り、民主化勢力を弾圧する共産主義政権が樹立されていった。実は、第二次世界大戦末期、米国2019/02/04夕刊フジ詳しく見る
2018/11/05
“サンボの王様”ビクトル古賀氏が死去、83歳
。通夜、葬儀・告別式は近親者のみで執り行われる。1935年、満州生まれ。日大時代からレスリング選手として活躍した後、65年に旧ソ連に派遣されてサンボの修業を積み、世界選手権優勝を含む公式戦41連勝を達成。ソ連政府から「ソ連功労スポーツマスター」「ソ連スポーツ英雄功労賞」を受けるなど“サンボの王様”とサンボ ソ連 ソ連スポーツ英雄功労賞 ソ連功労スポーツマスター ソ連政府 ビクトル古賀 レスリング選手 世界王者 世界選手権優勝 公式戦 古賀正一 告別式 日大時代 日本サンボ連盟 日本サンボ連盟顧問 満州生まれ 王様 近親者2018/11/05スポーツニッポン詳しく見る
2017/01/16
【あの時・白井貴子モントリオール金への軌跡】(3)山田監督とは1年間口をきかなかった
日日本(5勝)3―0ソ連(4勝1敗)※最終成績〈1〉日本〈2〉ソ連〈3〉韓国〈4〉東ドイツ〈5〉ルーマニア〈6〉ハンガリー73年9月1日、白井は前橋市の群馬県スポーツセンターにいた。W杯代表選考会の最終日だった。代表チームを争っていた日立武蔵は、ヤシカに敗れた。白井はその会場で突然、日立側が準備した2017/01/16スポーツ報知詳しく見る【あの時・白井貴子モントリオール金への軌跡】(5)ソ連のセッター交代に「これで勝てる」
5―8、15―2)0ソ連※当時は1セット15点でサイドアウト制72年ミュンヘン五輪のソ連は、それまで見たことのない選手が出てきたり、故障と伝えられた選手が何でもない状態でコートに現れ、日本を慌てさせた。だが、モントリオール五輪では予想通りのメンバーだった。白井はそれを見て、Vサインを山田監督に出したサイドアウト制 セッター交代 ソ連 ミュンヘン五輪 モントリオール五輪 モントリオール五輪バレーボール女子決勝日本 予想通り 山田監督 控え選手 日本 白井 白井貴子モントリオール金 米田一典コーチ 選手 Vサイン2017/01/16スポーツ報知詳しく見る