【あの時・白井貴子モントリオール金への軌跡】(3)山田監督とは1年間口をきかなかった
◆74年世界選手権決勝リーグ女子最終日日本(5勝)3―0ソ連(4勝1敗)※最終成績〈1〉日本〈2〉ソ連〈3〉韓国〈4〉東ドイツ〈5〉ルーマニア〈6〉ハンガリー73年9月1日、白井は前橋市の群馬県スポーツセンターにいた。W杯代表選考会の最終日だった。代表チームを争っていた日立武蔵は、ヤシカに敗れた。白
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【あの時・白井貴子モントリオール金への軌跡】(2)引退決意も新聞に移籍報道
72年ミュンヘン五輪期間中の9月5日、パレスチナ過激派組織が選手村に侵入、イスラエル人選手、コーチ11人が殺害されるテロが発生。このため、大会が1日延期になった。女子バレーボール決勝も6日から7日に変更された。だが、小島孝治監督はレギュラーにはすぐには伝えず、6日の昼にまで話すのを遅らせた。白井は「
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【あの時・白井貴子モントリオール金への軌跡】(1)最後はガチガチだったミュンヘン決勝
◆ミュンヘン五輪バレーボール女子決勝日本2(11―15、15―4、11―15、15―9、11―15)3ソ連※当時は1セット15点でサイドアウト制女子バレーボール界で歴代世界有数のアタッカー、白井貴子(64)は、1976年モントリオール五輪で金メダルをつかんだ。72年ミュンヘン大会では20歳で鮮烈な世
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【あの時・白井貴子モントリオール金への軌跡】(5)ソ連のセッター交代に「これで勝てる」
◆モントリオール五輪バレーボール女子決勝日本3(15―7、15―8、15―2)0ソ連※当時は1セット15点でサイドアウト制72年ミュンヘン五輪のソ連は、それまで見たことのない選手が出てきたり、故障と伝えられた選手が何でもない状態でコートに現れ、日本を慌てさせた。だが、モントリオール五輪では予想通りの
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