白井貴子
2017/05/10
【二十歳のころ 白井貴子氏(2)】会社へ辞表…引退のつもりだった
18歳で全日本(日本代表)に初めて入りましたが、バレーを始めるのが中2と遅かった私には技術が全然なく、先輩方とは比較にならないほど下手だと思っていました。身長は1メートル80ほどで高かったけれど、筋力も体力もなくて、練習にもついていけない。あちこち故障もしていました。1971年12月開幕の実業団リー2017/05/10サンケイスポーツ詳しく見る
2017/05/09
【二十歳のころ 白井貴子氏(1)】夜逃げならぬ朝逃げ…懲罰レシーブにキレる問題児
導いた“ビッグ”こと白井貴子さん(64)。故山田重雄監督の下、史上初めて世界選手権、五輪、W杯の3冠を達成したチームの主砲だったが、その4年前、20歳のころはまさに波瀾(はらん)万丈。厳しい指導に反発、引退を決意…。さまざまな出会いの中で金メダルへの道を歩んだ時代を振り返る。あまりの練習の厳しさにス2017/05/09サンケイスポーツ詳しく見る
2017/01/16
【あの時・白井貴子モントリオール金への軌跡】(1)最後はガチガチだったミュンヘン決勝
女子バレーボール界で歴代世界有数のアタッカー、白井貴子(64)は、1976年モントリオール五輪で金メダルをつかんだ。72年ミュンヘン大会では20歳で鮮烈な世界デビューを飾りながら、直後に引退。1年後に復帰し、世界の頂点に立った。監督に対しても納得できないことには徹底抗戦。それが、白井のゴールドメダリサイドアウト制女子バレーボール界 ミュンヘン五輪バレーボール女子決勝日本 ミュンヘン大会 ミュンヘン決勝 モントリオール五輪 世界 世界デビュー 徹底抗戦 歴代世界有数 白井 白井貴子 白井貴子モントリオール金2017/01/16スポーツ報知詳しく見る
2016/06/04
ロックの女王白井貴子がきたやまおさむと異色コラボ
迎えたロックの女王、白井貴子(57)が、フォーク界の大御所で精神科医、きたやまおさむ(70)の世界を歌った異色のアルバム「涙河(NAMIDAGAWA)」を15日に発売する。きたやまは、ザ・フォーク・クルセダーズのメンバーとして「帰って来たヨッパライ」が大ヒット。作詞家として「戦争を知らない子供たち」2016/06/04日刊スポーツ詳しく見る