上田利治氏が死去 80歳 日本シリーズ3連覇、阪急黄金時代築く
阪急(現オリックス)や日本ハムの監督を務めた上田利治さんが死去していたことが2日分かった。80歳。徳島県出身。上田さんは捕手として徳島・海南から関西大に進み故・村山実さんとバッテリーを組んで活躍。広島に入団したが、選手としては3年で引退。その後コーチを務め、1971年に阪急に移籍。75年、監督就任2
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上田利治さん死去 80歳 阪急監督で日本一3度、殿堂入り
プロ野球の阪急(現オリックス)なとで監督を務め、3度の日本一となった上田利治(うえだ・としはる)さんが死去したことが2日分かった。80歳。徳島県出身。関西大で故村山実さん(阪神)とバッテリーを組み、関西六大学リーグ優勝4回を果たし、1959年(昭34)に広島に入団。1年目から1軍出場を果たしたが、肩
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上田利治さんを悼む 担当記者が振り返る“野球小僧”伝説
元阪急、オリックス、日本ハム監督の上田利治氏が1日午前2時55分、肺炎のため川崎市の病院で死去した。80歳だった。葬儀・告別式は6日午前10時から横浜市青葉区美しが丘2の21の4、公益社会館たまプラーザで。喪主は妻勝子(かつこ)さん。監督20年で1322勝1136敗116分け、リーグ優勝5度、日本一
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上田利治氏の西京極“サイン違い事件” 元阪急コーチが語る
その瞬間、わたしは目が点になるくらいビックリした。京都は西京極球場での出来事だ。阪急は毎年、夏場に西京極で試合をしていた。わたしは三塁ベースコーチ。あるとき、ベンチの上田監督からサインが出た。組んだ足の膝下を触ったら盗塁というのは、監督と2人だけの決め事だった。が、一塁走者は捕手の中沢伸二。チーム一
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