升田幸三実力制
2018/01/29
【勝負師たちの系譜】新手一生を目指した升田名人、賞創設で永遠に残る名に 最初の受賞者は内藤九段
★升田幸三(4)升田幸三実力制第四代名人が、現役として対局したのは1977年度までだから、私より少し後輩の田中寅彦九段が、公式戦を戦った最後の世代となる。私の唯一の公式戦は、74年4月に四段になって数カ月後の棋聖戦二次予選で、本戦入りの一番。私は最初で最後かもという思いもあり、暑い日だったが着物を着2018/01/29夕刊フジ詳しく見る
2018/01/22
【勝負師たちの系譜】「升田式石田流」を世に出した1971年の名人戦七番勝負 升田幸三の一手は永久に残る妙手に
★升田幸三(3)升田幸三実力制第四代名人の棋神とも言える時代は、3年ほど続いたものの、1958年からは大山康晴15世名人の巻き返しを許し、タイトルをすべて手放すことになる。その後は、九段戦から発展解消した十段戦でも第1期から3期まで、フルセットに近い戦いを演じるなど、タイトル戦には幾度か挑戦したが、2018/01/22夕刊フジ詳しく見る
2018/01/15
【勝負師たちの系譜】棋神の強さで初の三冠王、升田幸三「戦地で逃げ回っている時も『木村名人に勝ちたい…』」
15世名人、その次は升田幸三実力制第四代名人の挑戦を退け、健在を見せつけた。しかしその翌年になると、さすがの木村も47歳となり、衰えを見せ始めた。次は升田という世評の前に立ちはだかったのが、やはり5歳年下の大山だった。升田にはその4年前、極寒の高野山での名人挑戦者決定戦第3局を、必勝の局面から頓死で2018/01/15夕刊フジ詳しく見る
2018/01/10
【勝負師たちの系譜】プロ棋士に大きな影響を与えた升田幸三実力制第四代名人、「新手一生」貫いた独創将棋
と思った覚えがある。升田幸三実力制第四代名人は、「新手一生」の精神で、生涯独創的な将棋を指し続けた。その指し方は、後輩のプロ棋士に大きな影響を与え、またファンを魅了したものである。升田は広島県三次市の生まれ。13歳の時、物差しの裏に「名人に香を引いて勝つまで帰らない」と書き置きし、家出してプロを目指2018/01/10夕刊フジ詳しく見る
2017/08/29
羽生善治三冠、“生涯勝率”に現れる無双の強さ 同世代のライバルと一線画す驚異の成績
あるのは、三冠時代の升田幸三実力制第四代名人(1957)、五冠時代の大山康晴十五世名人(62)、そして七冠時代の羽生善治現三冠(96)の、3人だけである。いつの時代でも独占というのは、本人が強いだけでなく、周りの棋士から「あの人にはとても勝てそうにない」と、最初から勝負を諦めさせる凄みが必要だ。特に2017/08/29夕刊フジ詳しく見る