升田幸三

升田幸三

2018/03/27

  • 【勝負師たちの系譜】戦後創設も狭き門だった「九段昇段」 長く続いた3人しかいない時代

    妙に納得されるようである。戦前までは、将棋の段位は八段が最高で、その上は名人しかいなかった。しかし戦後、名人位を失った人が元の八段ではということで、大山康晴、升田幸三の両九段が誕生し、九段戦優勝の塚田正夫九段と共に、3人しかいない時代が長く続いた。しかし、九段の数は囲碁のほうがかなり多かった。ある時
    2018/03/27夕刊フジ
    詳しく見る

2018/01/29

2018/01/22

  • 【勝負師たちの系譜】「升田式石田流」を世に出した1971年の名人戦七番勝負 升田幸三の一手は永久に残る妙手に

    升田幸三(3)升田幸三実力制第四代名人の棋神とも言える時代は、3年ほど続いたものの、1958年からは大山康晴15世名人の巻き返しを許し、タイトルをすべて手放すことになる。その後は、九段戦から発展解消した十段戦でも第1期から3期まで、フルセットに近い戦いを演じるなど、タイトル戦には幾度か挑戦したが、
    2018/01/22夕刊フジ
    詳しく見る

2018/01/15

  • 【勝負師たちの系譜】棋神の強さで初の三冠王、升田幸三「戦地で逃げ回っている時も『木村名人に勝ちたい…』」

    升田幸三(2)1949年、木村義雄14世名人は関東の俊英、塚田正夫名誉十段に奪われていた名人位を取り返し、復活を遂げた。翌年は大山康晴15世名人、その次は升田幸三実力制第四代名人の挑戦を退け、健在を見せつけた。しかしその翌年になると、さすがの木村も47歳となり、衰えを見せ始めた。次は升田という世評
    2018/01/15夕刊フジ
    詳しく見る

2018/01/10