指環
2018/11/29
【裕次郎番記者だけが知る 寺尾聰ワンパク半生】後にいぶし銀の演技が花開き… 石原プロからの“勘当”と裕次郎さんの思いやり
原裕次郎の番記者だった筆者がその“ワンパク時代”をつづる。「ルビーの指環」が大ヒットした翌1982年、寺尾聰は全国ツアーをめぐって、スタッフと意見を違え、石原プロとの関係が悪化する。ツアー序盤に「貯金をはたいてチケットを買いにきたのに入場できない子供がいた」と聞いた寺尾は激怒。「ファンへの感謝の気持2018/11/29夕刊フジ詳しく見る
2018/11/28
【裕次郎番記者だけが知る 寺尾聰ワンパク半生】「ルビーの指環」大ヒットの絶頂期に石原軍団から「破門」通告!?
★(3)秋の叙勲で旭日小綬章を受章した俳優の寺尾聰(71)。今は父の宇野重吉氏に迫るほどの名優だが、若いころは手もつけられないヤンチャだった。石原裕次郎の番記者だった筆者がその“ワンパク時代”をつづる。◇わけはどうあれ、スポーツ紙の部長の名刺を目前で破り捨てる…。寺尾聰の失礼な行動に、名刺を出した当2018/11/28夕刊フジ詳しく見る
2017/10/01
藤澤ノリマサ武部聡志さんとジョイントライブ
Session」にゲスト出演した。藤澤は沢田研二の「勝手にしやがれ」や、寺尾聰の「ルビーの指環」などの名曲を始め、武部氏がプロデュースしたオリジナル曲「BrandNewDay」などを披露。武部氏は「記念すべき1回目はノリくんしか考えられなかった」と紹介。わずか1分でチケットが完売したことを明かすと、2017/10/01スポーツ報知詳しく見る
2017/09/04
西田敏行 寺尾聰「ルビーの指環」を追いかけた「もしもピアノが弾けたなら」は4位
場。寺尾との意外な因縁を明かした。西田は歌手として1981年に「もしもピアノが弾けたなら」が大ヒット。実は同年にさらなる大ヒットしていたのが寺尾が歌う「ルビー指環」。西田によると「ルビーの指環」がTBS系音楽番組「ザ・ベストテン」で12週連続1位を記録した際「実は僕の歌が、ずっと4位だった」という。2017/09/04デイリースポーツ詳しく見る
2016/12/23
【細原・騎手で獲る 特別編】24日阪神11R ラスト週に燃える名手・エイシンスパルタン重賞初Vだ
は内で行き場をなくし流しながらのゴールだったが、上がり3Fはメンバー最速タイの32秒8。復活を予感させる走りだった。平野ノラの“吉田栄作コーディネート”と“寺尾聰のルビーの指環”にひっかけたバブリー予想は鋭いところをついていて、厳しい芸能界を勝ち抜いた勝負勘はさすがだった。関係者の談話を含めた記者の2016/12/23スポーツニッポン詳しく見る