絶頂期
2018/11/28
【裕次郎番記者だけが知る 寺尾聰ワンパク半生】「ルビーの指環」大ヒットの絶頂期に石原軍団から「破門」通告!?
★(3)秋の叙勲で旭日小綬章を受章した俳優の寺尾聰(71)。今は父の宇野重吉氏に迫るほどの名優だが、若いころは手もつけられないヤンチャだった。石原裕次郎の番記者だった筆者がその“ワンパク時代”をつづる。◇わけはどうあれ、スポーツ紙の部長の名刺を目前で破り捨てる…。寺尾聰の失礼な行動に、名刺を出した当2018/11/28夕刊フジ詳しく見る
2018/11/05
元武富士ダンサーズ 大西裕貴子さんが明かす“CM撮影秘話”
人は今こうしている】絶頂期に病に襲われ19年 元グラビア女王・川村ひかるは今1990年代に話題となったテレビCMのひとつ「¥ショップ武富士」。レオタード姿の若い男女が躍動感あふれるキレッキレのダンスを踊り、大いに注目を浴びた。本日登場の大西裕貴子さんは、初代武富士ダンサーズのメンバー。さて、今どうし2018/11/05日刊ゲンダイ詳しく見る
2018/10/30
プロ野球担当女子アナは「ピラニアの池に飛び込む」もの…八木亜希子TVで告白
八木はまず「前から順番にタクシーが止まって、なんか聞きながらあたしの前に来て『どこ?』って。『横浜です』、『じゃ乗っていい』って、タクシーが(客を)選ぶの」と、バブルらしいエピソードを披露した。バブル世代、しかも絶頂期のフジテレビの女子アナという立場だっただけに、「番組の打ち上げがすごかったですね。2018/10/30デイリースポーツ詳しく見る
2018/10/15
【秋華賞】京都競馬場の入場者数 前年比137・3%
になった。 競馬人気が絶頂期だった1997年の8万7515人には遠く及ばないものの、4万4590人は対前年比で137・3%を記録。3万人台が多かった近年では盛況の一日になった。なお、秋華賞のレース自体の売り上げは149億4819万3500円。前年比で109・3%と、こちらもまずまずの結果を残した。2018/10/15東京スポーツ詳しく見る絶頂期に病に襲われ19年…元グラビア女王・川村ひかるさんは今
1990年代後半から2000年代にかけて、グラビアアイドルとして少年誌や青年誌の表紙を飾り、世の男性たちをとりこにした川村ひかるさん(38)。バラエティー番組などにも多数出演し、マルチに活躍していた。およそ15年たった今、どうしているのか。川村さんに会ったのは、東京・港区にある所属事務所内。アラフォ2018/10/15日刊ゲンダイ詳しく見る
2018/08/13
ひょっこりはん 人気者ならではの悩み “一発屋”避けるには…
本数が100本以上の絶頂期を迎えながらも、人気者ならではの悩みを打ち明けた。「深イイ…」では「しゃべくり007」のパートに登場。 昨年のテレビ出演0本から100人以上の芸能人とコラボするなど、テレビで姿を見ない日はないほどの多忙ぶり。だが、売れれば売れるほどに「このまま一発屋になってしまうのではない2018/08/13スポーツニッポン詳しく見る
2018/03/10
【激震 芸能界契約異聞】百恵、淳子…「スタ誕」アイドルで事務所肥大化、エンタメ産業の中核へ
レントと事務所の取り分が厳格化されていなかったこともある。それが1970年代以降、タレントとプロダクションはせめぎあいながら、新たな関係性を模索していくことになる。「おふくろさん」などのヒットを飛ばした森進一(70)が所属事務所から独立したのは絶頂期だった79年。事務所との全面対決の様相を呈し、森は2018/03/10夕刊フジ詳しく見る
2017/12/30
ビートたけし、松本人志を語る「おいらよりレベルは上」 でも映画は…
ンの松本人志(54)について、本音を語った。番組では「忖度なしガチインタビュー」と題して、たけしのインタビューを放送。視聴者からさまざまな質問がぶつけられ、絶頂期の収入を問われると「月収は1億円超していたんじゃないかな。年間で10何億じゃないの」とあっさり告白。「軍団がいつも一緒にいて、おごったりし2017/12/30スポーツニッポン詳しく見る
2017/11/26
ヨルダン戦で2G FW岩渕真奈がなでしこ攻撃陣の突破口に
2―0で快勝した。この試合で2ゴールを決めた岩渕真奈(INAC神戸FW)は24歳にして2011年ドイツW杯優勝、12年ロンドン五輪銀メダル、15年カナダW杯準優勝と、なでしこジャパンの絶頂期を経験している。13年からはドイツで新たな可能性へ挑戦もした。しかし――。岩渕を待っていたのは度重なる故障だっ2017/11/26日刊ゲンダイ詳しく見る
2017/10/21
【激闘10・22衆院選】路上キス、ハゲ暴言…自民『魔の2回生』91人が大苦戦、現状で「44勝47敗」
る。現状では「44勝47敗」だ。不倫や暴言などスキャンダルを報じられた面々もいるが、終盤戦を制して勝ち残れるのか。「彼らの最初の選挙は、自民党が政権を奪還した選挙で、2回目は安倍晋三政権の絶頂期だった。ほぼ苦労なく当選2回を重ねており、本当に厳しい選挙は今回からだ。日ごろの地元活動の成果が問われる」2017/10/21夕刊フジ詳しく見る
2017/10/05
広末涼子、芸能界引退考え衝撃の行動…「一生懸命太った」15キロ増量作戦!
に行った衝撃的な行動を明かした。広末は14歳で芸能界にデビュー。ポケベルのCMで一躍人気者となり、活躍したが、絶頂期の20歳に芸能界から引退することを考えていたと明かした。引退を考えるきっかけとなったのが、初めて海外の作品、映画「WASABI」(2001年公開)に主演したこと。「日本の芸能界のシステ2017/10/05サンケイスポーツ詳しく見る
2017/09/03
市井由理、約20年ぶりに公の場 キレキレのラップを披露
BOYZの初アルバム「第一次成長期~BabytoBoy~」の発売イベントに登場。約20年ぶりに公の場に姿を見せた。市井は「DA.YO.NE」でNHK紅白歌合戦に出場するなど、女性ヒップホップアーティストのパイオニア的存在。絶頂期の1997年に英国への留学を機に芸能活動を休止していた。市井が参加したの2017/09/03サンケイスポーツ詳しく見る
2017/08/22
丸山茂樹が評価“英樹はウッズ級!”
、松山英樹(25=LEXUS)がポイントランキング首位で臨み、日本人初の1000万ドル(約11億円)のビッグボーナスゲットの期待がかかる。その松山について丸山茂樹(47=セガサミーHD)は、絶頂期のタイガー・ウッズ(41=米国)並みと表現した。ウッズは史上最長の合計683週にわたって世界ランク1位に2017/08/22東京スポーツ詳しく見る
2017/07/29
AV業界の生ける伝説、村西監督が豪遊ぶりと武勇伝を披露
る氏(68)が出演。絶頂期の豪遊ぶりと武勇伝を披露し、番組を盛り上げた。「ナイスですね」のフレーズで一世を風靡した村西監督は1984年に「クリスタル映像」でAV監督としてデビュー。80年代後半から頭角を現し、トップ女優を次々と発掘。不動の人気を誇った伝説の人物だ。“AVあるある”と言われる数々の演出2017/07/29夕刊フジ詳しく見る
2017/07/22
悲願の初優勝から大関陥落…琴奨菊が自ら選んだ相撲道
奨菊(33)にとってまさに絶頂期だった。初日から白星を重ね、モンゴル人3横綱をも撃破。14勝1敗で初めて悲願の賜杯を手にした。2006年栃東(現玉ノ井親方)以来となる日本出身力士の優勝は、長らくモンゴル勢に土俵を席巻されていた角界の明るい話題となり、ファンにも「まだまだ日本人力士も捨てたもんじゃない2017/07/22日刊ゲンダイ詳しく見る
2017/05/31
引退の宮里藍も…日本スポーツ界に欠けたメンタルへの理解
出していたのだ。ここ4シーズンは勝利から遠ざかり、絶頂期の感覚が戻らなかった。都内で行われたこの日の会見では、「第一線で結果を残すにはエネルギーが必要。(中途半端な気持ちで通じるほど)甘い世界ではない。限界を感じての決断」と言った。高校3年の時に女子ツアーで優勝を果たしてプロ転向。翌2004年開幕戦2017/05/31日刊ゲンダイ詳しく見る
2017/05/30
宮里藍「2012年後半」の葛藤…番記者が振り返る
4年連続で勝利を重ね、ゴルファーとしての絶頂期に意識した引退。当時の葛藤を高木恵記者がリポートする。藍が初めて引退を意識したのは、ゴルファーとして絶頂期を迎えていた12年だったという。驚いた。同時に「藍らしいな」と納得もできる。ひたむきな性格と、メジャーへのこだわりが、以前から際立って見えたからだ。2017/05/30スポーツ報知詳しく見る
2017/05/19
新日本プロレスは再び東京ドームを満員にできるか
を掲げた。21世紀に入ってからの“暗黒時代”とも呼ばれる低迷期を脱し、ここ数年は“V字回復”と呼ばれる躍進を続けている新日本だが、東京ドーム大会の観客動員は絶頂期と比べるとまだまだ物足りない。木谷オーナーも大盛況だった今年1月4日の東京ドーム大会について「空席があるので100点は与えられない」と話し2017/05/19デイリースポーツ詳しく見る
2017/04/14
R-1王者の中山功太、月収1万円まで転落
600万円以上だった絶頂期から、直近の月収は1万円にまで落ちぶれてしまった転落人生を明かした。中山は13日深夜放送のテレビ東京系「じっくり聞いタロウ~スター近況(秘)報告~」に出演した。「R-1ぐらんぷり」決勝に2年連続で進出し、09年には見事優勝。当時の月収は600万円以上となり、大阪で持っていた2017/04/14日刊スポーツ詳しく見る
2017/04/10
復帰への序章? 桜田淳子が発した「楽しかった」という一言/芸能ショナイ業務話
ト出演した。桜田は1973年にデビューし、「わたしの青い鳥」などヒット曲を連発。森昌子、山口百恵さんとともに「花の中三トリオ」として活躍してきた。だが、絶頂期だった1992年、韓国ソウルで行われた統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の国際合同結婚式への参加を突然表明。その後は次第に仕事をフェードアウ2017/04/10サンケイスポーツ詳しく見る
2017/01/27
鼠先輩 全盛期ギャラは「15分で120万円」キャラ設定に後悔
た原因を分析した。パンチパーマに上下白のスーツ、サングラスと個性的なルックスで「六本木~GIROPPON~」を歌い一世を風靡(ふうび)した鼠先輩。最高月収は約1200万円に達し、全盛期には「120万円くらいもらった、15分で」というほどだった。だが絶頂期はわずか半年。テレビ出演は次第に減少していった2017/01/27スポーツニッポン詳しく見る
2017/01/19
元猿岩石の森脇和成、副業で辛酸なめた
にVTR出演。芸能界を引退して実業家に転身した当時を振り返った。森脇は有吉弘行とのコンビ、猿岩石でデビュー。96年に放送された「進め!電波少年」のヒッチハイク企画で大ブレイクし、歌手としてもシングル「白い雲のように」が113万枚を超える大ヒットを記録するなど一躍時の人となり、絶頂期には年収1億円を超2017/01/19日刊スポーツ詳しく見る
2016/12/18
ウッズ契約のBSボールに求めたもの「メード・イン・ジャパン」への信頼
あるメーカーの中から同社を選んだ裏には、絶頂期を支えた「メード・イン・ジャパン」のフィーリングがあったようだ。今月1~4日に開催されたツアー外競技の慈善大会「ヒーロー・ワールドチャレンジ」でウッズはBSの「B330S」ボールを使用。約1年3か月ぶりの復帰戦は17人中15位だったものの、4日間トータル2016/12/18東京スポーツ詳しく見る
2016/10/25
「湯浅です」国際弁護士・湯浅卓氏のテレビから消えた本当の理由は?
斉捜査SP」(火曜・後7時)にビデオ出演。テレビから消えた本当の理由を明かした。強烈な長髪スタイルと、親指を立てる「湯浅です」ポーズで、一時は月100本の番組に出演した湯浅氏。スタッフが訪ねると、少し髪型が変わった以外はかつての面影そのままで登場し、「美女に触られまくった」と“絶頂期”を振り返った。2016/10/25スポーツ報知詳しく見る
2016/10/10
野沢直子、絶頂時の渡米は“逃亡”だった
渡米の真相を明かした。野沢はダウンタウン、ウッチャンナンチャン、清水ミチコと共演していた伝説のコント番組「夢で逢えたら」(フジテレビ系)などレギュラーを多数抱えていた91年の絶頂期に芸能活動を休止して突然渡米。以後、米国を拠点にし続け、年に1回、夏に“出稼ぎ”帰国することが恒例になっている。当時「22016/10/10スポーツ報知詳しく見る
2016/05/10
【笑点50年 笑いのある人生】(3)型破りな円楽「噺家の司会」築く
ライバル関係、林家木久蔵(のち木久扇)のレコード「いやんばか~ん…」の発売、初の海外公演など、落語家の新時代を確実に示していた。絶頂期の1982年12月8日、三波は自宅で倒れ、解離性大動脈瘤(りゅう)破裂のため急逝した。52歳だった。誰も予想だにしなかった離脱に、日本テレビは急ピッチで後任探しに追わ2016/05/10スポーツ報知詳しく見る