片平晋作
2018/04/08
南海が片平晋作獲得を決めた“素手キャッチ”
史のなかでも純な男の片平晋作が2018年の開幕を待たずに逝った。49年8月、大阪市港区生まれ。少年時代に父親に甲子園球場に阪神タイガースを見に連れて行って貰い、野球に憧れ、65年上宮高へ。「高校に行かせてもらうとカネがかかる。両親に迷惑をかけたあー」。ずぅーと言い続けていた。68年東京農業大学監督松2018/04/08東京スポーツ詳しく見る
2018/01/30
【西武】辻監督、片平さんに恩返しV誓った…通夜に300人参列
ため68歳で死去した片平晋作さんの通夜が29日、埼玉・所沢市内の昌平寺別館で営まれた。西武・辻発彦監督(59)、渡辺久信シニアディレクター兼編成部長(52)ら約300人が参列し、別れを惜しんだ。辻監督にとって、片平さんは西武入団1年目の84年、高知・春野キャンプでの部屋長だった。夜間練習から宿舎に戻すい臓がん フォーム確認 内野手 参列主 夜間練習 所沢市内 昌平寺別館 春野キャンプ 渡辺久信シニアディレクター 片平 片平晋作 編成部長 西武 西武入団 足打法 辻発彦監督 辻監督 通夜 部屋 部屋長2018/01/30スポーツ報知詳しく見る
2018/01/24
ソフトB工藤監督が故片平氏をしのぶ 「親しく話し掛けてもらった」
め68歳で亡くなった片平晋作氏の訃報に肩を落とした。工藤監督が西武にルーキーとして入団した1982年に片平氏が南海から移籍。「年齢が離れていたのに『同期だ』と親しく話し掛けてもらった。当時は年が離れた先輩たちとお風呂に入れない時代だったのに、誘ってくれて、たくさん野球の話ができた」と気遣いに感謝をし2018/01/24西日本スポーツ詳しく見る“元上司”ノムさんが片平晋作さん悼む「一本足打法。王への憧れがすごかった」
武、大洋でプレーした片平晋作(かたひら・しんさく)氏が22日午前9時58分、膵臓(すいぞう)がんのため死去した。68歳だった。大阪・上宮高から東農大を経て1972年にドラフト4位で南海(現ソフトバンク)に入団し、一塁手として活躍。西武へ移籍した82、翌83年の連続日本一に貢献。86年にドラフト1位で2018/01/24夕刊フジ詳しく見る
2018/01/23
伊東勤氏、片平晋作氏を悼む「さすがだった試合での集中力」
突然のことで驚いている。糖尿病を患っていて、体調が良くないことは知っていたが、まさか、がんだったとは。まだ68歳。若すぎるし、信じられない。あまり大勢でつるむタイプの人ではなかったが個人的に本当に可愛がっていただいた。何度も食事に連れて行ってもらったし自宅にも招いてもらったこともあった。南海からトレ2018/01/23スポーツニッポン詳しく見る
2018/01/22
アストライアの辻内監督 片平氏と女子プロ野球の発展に尽力「空から見守って」
DeNA)で活躍した片平晋作氏が22日、膵臓(すいぞう)がんのために所沢市内の自宅で死去した。68歳だった。昨年11月に末期のがんが見つかり、自宅で療養を続けていたという。片平氏は13年に女子プロ野球・アストライアの初代監督に就任。昨季もリーグの特命コーチを務めていた。現アストライアの監督で元巨人の2018/01/22スポーツニッポン詳しく見る片平氏の命奪った膵臓がん 星野仙一さん、九重親方も
で主力として活躍した片平晋作氏が22日、膵臓(すいぞう)がんのため死去。68歳だった。片平氏の命を奪った膵臓がんだが、今月4日には、同じ病で楽天球団副会長の星野仙一氏(享年70)が亡くなった。星野氏は16年7月に急性膵炎を発症。それをきっかけにがんが判明した。昨年12月末に病状が悪化。最後は「昼寝で2018/01/22スポーツニッポン詳しく見る片平晋作氏死去 南海で主力 西武の連続日本一に貢献
で主力として活躍した片平晋作(かたひら・しんさく)さんが22日、午前9時58分、すい臓がんのため死去した。西武球団が発表した。大阪府出身、68歳だった。東農大から1971年のドラフト4位で南海入り。2年目に頭角を現し、5年目の76年にはDH、一塁手のレギュラーに定着して初の2桁となる12本塁打をマー2018/01/22スポーツニッポン詳しく見る