南海
2019/05/13
“元プロ野球選手馬主”のパイオニア 南海黄金時代に活躍した俊足巧打の2番打者
プロ野球・元南海の樋口正蔵さん(79)をご存じだろうか。アマ球界の王道を歩み、常勝南海の優勝に何度も貢献。現役引退後は家業を継ぎ、同時にJRA馬主となった。「バンブトン」の冠名の方が名が通っているかもしれない。佐々木大魔神、三浦番長(元横浜、DeNA)といった“元プロ野球選手馬主”先駆けだ。馬主席を2019/05/13デイリースポーツ詳しく見る
2019/01/05
熊本で震度6弱…次に危ない「神奈川・静岡」 専門家が警告「兆候出ている」
本地震(M7・3)が影響しているとの見方が有力だ。「これは前震ではないか」。現地では緊張感に包まれるが、熊本以外でも不穏な動きがある。南関東・静岡エリアと大阪を含む南海、東南海の南海トラフ関連エリア。専門家は「兆候が出ている」と警告する。Uターンラッシュの九州・熊本を大きな揺れが直撃した。同県和水(2019/01/05夕刊フジ詳しく見る
2018/07/06
【中日】ナゴヤDの中止に反応様々…00年に愛車水没の岩瀬「思い出したくない」
の午後3時45分に中止が決定した。用具が届かないことが理由でプロ野球が中止になるのは、1979年7月13日の日本ハム―南海戦(後楽園)以来2例目。この時は、東名高速の日本坂トンネル火災の影響で、南海の用具を積んだトラックが到着しなかった。ナゴヤドームでの中止は、選手会のストライキで開催されなかった22018/07/06スポーツ報知詳しく見る
2018/06/06
元ドラ1天才投手 現在はトラック車内で寝ていた…4度の転職繰り返し
ンバツ初優勝に導き、南海にドラフト1位で指名された西川佳明さん(54)が5日放送のテレビ東京「マジか!その後の人生栄光を掴んだ天才達 今を大追跡SP」(火曜6・55)に出演。現在の暮らしを明かした。西川さんは1年から名門野球部で活躍。3年生時には全5試合を完投し、PL学園をセンバツ初優勝に導いた天才2018/06/06スポーツニッポン詳しく見る
2018/05/11
カズ山本氏「ドームの屋根が開いて、パラシュートで人が降りてきた」 ホークスOBトーク2
ゲストとして招かれた南海、ダイエーOBのカズ山本こと山本和範氏(60)が試合前に球場内の「王貞治ベースボールミュージアム」で、ファン約40人を前にトークショー。その様子をお届けする。全3回の第2回。-1988年オフ、南海ホークスはダイエーホークスとなって福岡に移転。地元野球ファンはついに福岡、博多に2018/05/11西日本スポーツ詳しく見る
2018/04/29
ソフトB、80年代南海の復刻ユニ着用
スの選手たちは前身の南海時代のユニホームを着用した。1984~88年まで使用した、上半身が緑、クリーム色のズボンに緑のラインが入ったビジター用の復刻版。当時現役だった藤本打撃コーチは「もっとモスグリーンやった」と懐かしんだ。専大松戸高、専大と緑をチームカラーになじんできた高橋礼は「こんな感じでした」2018/04/29西日本スポーツ詳しく見る
2018/04/03
ソフトB王会長、目指すのはプロ野球のリーダー 九州の熱気に心から感謝 ホークス球団創設80周年
わたり指揮を執った王貞治球団会長(77)だ。南海からダイエー、ソフトバンクとなり、弱小と呼ばれた球団は常勝へと変貌。王会長は歴史を振り返りながら、再びユニホームを着る機会を与えてくれたホークスと九州の熱気に感謝した。(聞き手=安枝新悟) 〈王会長は巨人での現役時代、リーグが違う南海ホークスとの対戦は2018/04/03西日本スポーツ詳しく見る
2018/04/01
ノムさん毒舌にエモやんタジタジ 第1回「レジェンドデー」でトークショー
也(82)、江本孟紀(70)両氏がゲストで来場した。両氏は南海時代に監督とエースの間柄。試合前、まず王貞治ベースボールミュージアムでトークショーを行った。ファン約100人に「南海で育ててもらって、捨てられた」と切り出した野村氏は「ソフトバンクの大功労者は孫さん。『金は出すけど口は出さん』は最高のセリ2018/04/01西日本スポーツ詳しく見る
2018/03/31
ソフトB大敗で消えた幻のエモやん企画 球団創設80周年「レジェンドデー」第1回
クスに大敗を喫した。南海時代を通じた球団OBらを招いてイベントを行う「レジェンドデー」の第1回。南海でプレーした野村克也氏、江本孟紀氏が試合前セレモニーに登場した。選手、首脳陣が、白地に紺の「80周年記念ユニホーム」を着用して臨む初めての公式戦だった。初回に川島のソロで先制したものの、先発武田が踏ん2018/03/31西日本スポーツ詳しく見るノムさんが王さん記念館でボヤきまくり ホークス80周年企画でソフトB工藤監督にも口撃
創設80周年企画で、南海OBの野村克也(82)、江本孟紀の両氏(70)が31日、ヤフオクドーム内の「王貞治ベースボールミュージアム」でトークショーを行った。約100人のファンを前に野村氏は「南海で育ててもらって、南海で捨てられた」と快調な滑り出し。1973年の日本シリーズで対戦した巨人・王の話題にな2018/03/31西日本スポーツ詳しく見る
2018/03/03
ホークス80周年「レジェンドデー」ユニホームお披露目 主将・内川「最高の年に」
ントは全5回開催される予定。今回のイベント用のユニホームは、球団創設当時、1938年の白地に紺のラケットラインを踏襲。「HAWKS」の胸文字フォントと袖ラインの太さは現行ユニホームと同じもので、80年前と現在をつなぐデザインとなっている。帽子の鷹マークは南海最終年のもの。袖のワッペンには南海、ダイエ2018/03/03東京スポーツ詳しく見る
2018/01/24
ソフトB工藤監督が故片平氏をしのぶ 「親しく話し掛けてもらった」
工藤監督が、南海、西武、大洋でプレーし、22日に膵臓(すいぞう)がんのため68歳で亡くなった片平晋作氏の訃報に肩を落とした。工藤監督が西武にルーキーとして入団した1982年に片平氏が南海から移籍。「年齢が離れていたのに『同期だ』と親しく話し掛けてもらった。当時は年が離れた先輩たちとお風呂に入れない時2018/01/24西日本スポーツ詳しく見る“元上司”ノムさんが片平晋作さん悼む「一本足打法。王への憧れがすごかった」
南海、西武、大洋でプレーした片平晋作(かたひら・しんさく)氏が22日午前9時58分、膵臓(すいぞう)がんのため死去した。68歳だった。大阪・上宮高から東農大を経て1972年にドラフト4位で南海(現ソフトバンク)に入団し、一塁手として活躍。西武へ移籍した82、翌83年の連続日本一に貢献。86年にドラフ2018/01/24夕刊フジ詳しく見る
2018/01/22
片平晋作氏死去 南海で主力 西武の連続日本一に貢献
南海や西武で主力として活躍した片平晋作(かたひら・しんさく)さんが22日、午前9時58分、すい臓がんのため死去した。西武球団が発表した。大阪府出身、68歳だった。東農大から1971年のドラフト4位で南海入り。2年目に頭角を現し、5年目の76年にはDH、一塁手のレギュラーに定着して初の2桁となる12本2018/01/22スポーツニッポン詳しく見る
2017/10/19
重体の二所ノ関親方「南海の黒ひょう」の異名で優勝2回 夫人は高田みづえ
橋市内の病院に救急搬送されたが、意識不明の重体。二所ノ関親方は、鹿児島県出身で1975年春場所で初土俵を踏み、81年初場所で新入幕。83年初場所で大関に昇進した。84年春場所で初優勝。精かんな顔立ちと俊敏な身のこなしから「南海の黒ひょう」の異名で活躍。2度優勝した。87年に現役を引退し、年寄・松ケ根2017/10/19デイリースポーツ詳しく見る
2016/07/11
日本ハム 歴代4位タイの15連勝!プロ野球記録は18連勝
て4―1で快勝、球団新記録となる15連勝をマークした。日本のプロ野球の連勝記録は18で、1954年の南海(現ソフトバンク)、1960年の大毎(現ロッテ=1分けを挟む)が記録している。続いて1965年に南海が17連勝を記録し、15連勝は史上4位タイ。2005年にソフトバンクが記録して以来11年ぶりの12016/07/11スポーツニッポン詳しく見る