三村敏之
2018/07/31
広島、8・2マジック点灯&緒方監督300勝も 7月は12勝5敗で終える
算300勝にもあと2勝としており、区切りの勝利でマジック点灯の可能性もある。なお、広島監督で通算300勝以上は、古葉竹識711、山本浩二649、白石勝己581、三村敏之337、野村謙二郎321の5人。試合は同点の六回にバティスタが適時二塁打を放ち、1点の勝ち越しに成功。八回には安部の4号2ラン、田中2018/07/31デイリースポーツ詳しく見る
2017/09/14
決定的亀裂の要因…金本監督が「掛布解任」を決めた事件
った。12日付の日刊ゲンダイに掲載した通り、掛布二軍監督の退任は金本監督(49)との指導方針の違いが最大の理由だった。金本監督は1991年のドラフト4位で東北福祉大から広島に入団。三村敏之二軍監督(当時=故人)や山本一義コーチに厳しく育てられた。「本当に朝から晩までひたすら練習させられた。あれは人間2017/09/14日刊ゲンダイ詳しく見る
2016/10/05
緒方監督 日本一で恩師たちに恩返し 「ここ数年、次々に亡くなっていく」
をはせた。近年は元広島監督・三村敏之さん、鳥栖高の監督・平野国隆さん、担当スカウト・村上孝雄さんらが死去。32年ぶりの頂点をつかみ、恩返しを果たす。まだ信じられなかった。3日に突然、舞い込んできた山本一義さんの悲報。所用で3日の練習を休んでいた緒方監督は、遠くを見つめながら恩人との記憶をよみがえらせ2016/10/05デイリースポーツ詳しく見る
2016/09/13
大下剛史氏 新赤ヘル黄金時代の象徴は田中広輔
、3年目の田中広輔内野手(27)だ。【大下剛史「熱血球論」】今回も含めた広島の7度のリーグ制覇を振り返ってみると、そこには主に二遊間を守る足の速い1、2番コンビがいた。1975年の初優勝時は大下剛史と三村敏之。黄金期の80年代は高橋慶彦と山崎隆造、91年は野村謙二郎と正田耕三がその役割を担った。そし2016/09/13東京スポーツ詳しく見る