菅原洋一
2019/02/07
杉紀彦さん偲ぶ会 鳥羽一郎しんみり「自分が一番叱られた」
さんは、作詞家として森昌子の「なみだの桟橋」、菅原洋一・シルビアの「アマン」、美空ひばり「海にむかう母」、石原裕次郎「昭和たずねびと」など400曲以上を手がけた一方、NHKラジオ「はつらつスタジオ505」と後続の「きらめき歌謡ライブ」の構成を合わせて33年間担当。ラジオ日本で「杉紀彦のラジオ村」のパ2019/02/07東京スポーツ詳しく見る
2018/12/25
作詞家の杉紀彦さんが肺炎のため死去、81歳
ために都内の病院で亡くなっていたことが25日、分かった。関係者が発表した。81歳だった。東京都出身。通夜、葬儀は近親者で既に済ませている。400曲以上の作詞を手がけ、菅原洋一とシルビアのデュエット曲「アマン」、美空ひばり「海にむかう母」、小林旭「哀愁列島」、島倉千代子「風のみち」など多くのヒット曲が2018/12/25日刊スポーツ詳しく見る杉紀彦さんが80歳で死去…石原裕次郎「昭和たずねびと」など作詞
歳だった。東京生まれ。通夜、葬儀・告別式は家族の意向で家族葬で執り行われたという。石原裕次郎「昭和たずねびと」、美空ひばり「海にむかう母」、森昌子「なみだの桟橋」などの作詞で知られ、菅原洋一の「ホテル~それぞれの人生~」では「日本レコード大賞アルバム企画賞」を受賞した。また、NHKラジオの「はつらつ2018/12/25スポーツ報知詳しく見る
2017/06/22
ジュディ・オング「見上げる星が一つなくなってしまった」…ペギー葉山さん「お別れの会」
ィ・オング(67)、菅原洋一(83)、由紀さおり(68)ら約800人が出席した。台湾で訃報を聞いたジュディは「ペギーさん、早すぎます。大好きな先輩なんです。見上げる星が一つなくなってしまった」としみじみ。仕事先でよく楽屋を訪れたといい、ペギーさんが衣装を何度も作り直して着る姿を見て「私の衣装への一番2017/06/22スポーツ報知詳しく見るペギー葉山さん「お別れの会」菅原洋一ら800人
た。ペギーさんが日本語詞を付けたヒット曲「ドレミの歌」を劇中歌とするミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の世界観を祭壇で表現。約2200本のバラやヒマワリの花でカラフルに飾り付け、子どもたちの笑顔があふれるイメージを作った。菅原洋一(83)は何十年もの付き合いだった。80歳になった時に「我々2017/06/22日刊スポーツ詳しく見る
2016/07/18
ナレオパーティー、菅原洋一らがハワイの音楽を楽しむ
のOB、白石信氏(83)の呼びかけで始まり、今年で20回目。同バンドの70周年も重なり、同部OBや歌手の菅原洋一(82)らが、ハワイアンミュージックを奏でた。数年前から、早大の現役学生によるハワイ民族舞踊研究会のメンバーも参加。若い世代との交流の場にもなっており、白石氏は「同窓会のような形で始まった2016/07/18サンケイスポーツ詳しく見る