牛肉食
2018/03/28
【肉道場入門!】牛肉史に刻まれるべきドラマ 75歳老士に贈る大石内蔵助の心遣い
目につくようになる。牛肉食の記録の嚆矢(こうし)となるのは元禄時代(1688~1704年)、赤穂浪士の大石内蔵助が四十七士最年長の堀部弥兵衛に出した次の手紙だ。「進上致し候彦根産黄牛(あめうし)の味噌漬、養老品故其許には重疊(ちょうじょう)と存じ候。伜主税などにまいらせ候とかえってあてかるべし。大笑2018/03/28夕刊フジ詳しく見る
2018/03/20
【肉道場入門!】徳川時代の彦根藩 武具、馬具の調達で肉食発達するワケ
知られる彦根藩(現在の滋賀県)は、江戸時代前期から牛の味噌漬けを作り、将軍家などに献上してきたという記録が残されている。そして幕末から明治維新にかけて、牛肉食の文化は目に見えて広まっていく。幕末の安政年間には大阪の難波橋近くで福沢諭吉が牛鍋をつついていた。1940(昭和15)年に発刊された窪田五郎の2018/03/20夕刊フジ詳しく見る
2018/03/14
【肉道場入門!】「牛は西国」鎌倉時代の文献が示すルーツ 国産牛の特徴が記された巻物『国牛十図』
当時の国産牛の特徴が記された巻物だ。特徴といっても、あくまで農耕用。「腰背ともども丸々として頑健である」(但馬牛)といった記述のみで、味わいについての記載はない。少なくとも表向きには牛肉食は禁じられていたからだ。序文に「馬は関東、牛は西国」と書かれているように、『国牛十図』には「西」の牛が多く登場す2018/03/14夕刊フジ詳しく見る
2018/02/28
【肉道場入門!】大阪発“安ウマ”串カツの人気と苦悩 環境に翻弄され上げづらい価格、カウンター内からはボヤキの声
以前から、肉食(特に牛肉食)に長く親しんだ関西には、肉の食べ方のバリエーションに一日の長がある。その象徴が庶民食の代表である「串カツ」だ。一口サイズに切った肉などを串に刺し、バッター液(卵、小麦粉を牛乳などで溶いた液)にくぐらせ、目の細かいパン粉につけて揚げる。元祖と言われているのは大阪の下町、新世2018/02/28夕刊フジ詳しく見る
2017/06/20
豚肉は日本の国民食? 家計調査から見える肉食事情
!】日本人にとっての牛肉食がいかに“西高東低”か、ということについて前回書いた。象徴的な例で言うと、北海道民の年間支出は7000円程度なのに対して近畿圏では約2万8000円と約4倍、一番支出の多い滋賀県大津市では3万4703円と道民の5倍近くも牛肉にお金を使っているのだ。では豚や鶏など他の肉はどうか2017/06/20夕刊フジ詳しく見る
2017/06/14
牛肉食から日本を見ると…意外な「地方格差」が判明、食べまくっているのは関西地方
【肉道場入門!】「肉と言えば?」という問いに対する答えは、あなたが考えるほど一定ではない。例えば東日本の人なら当然のように「豚」を思い浮かべる場面でも、関西人なら「牛」、九州人は「鶏」だというシーンもあるかもしれない。全国の県庁所在地に暮らす人々の暮らし向きを調べた総務省の家計調査2016(総世帯)2017/06/14夕刊フジ詳しく見る
2016/12/06
福沢諭吉も小野小町も“肉食”だった 遙か昔から日本人は牛肉を食べていた
ある福沢諭吉だった。牛肉食は明治に入ると大々的に奨励されるようになるが、それ以前は表向きには禁じられていた。ところが福沢は幕末の安政4(1857)年頃の時点で、大阪の牛鍋屋に繰り出していた。晩年に口述筆記で残したという『福翁自伝』にも「(当時)大阪に牛鍋を食わせる店は2軒あったが、牛は随分硬くて臭か2016/12/06夕刊フジ詳しく見る